瀬戸内海国立公園指定70周年
「ふるさとの海」  22.水底の攻防  沖家室(山口県東和町)

     こだわりの餌と針
       一本釣り職人は待つ
         潮の変わり目のタイ
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Photo
沖家室島沖合でタイを狙う松本さん。この日は風で白波が立つ荒れた海だった。後方の島影は愛媛県の由利島
地図「沖家室」

 漁師というより、職人という方が似合う。松本春久さん(77)は、小さな重りが水深数十メートルの海底に当たる感触が分かるらしい。糸で生き餌のエビを操り、タイを狙う。一本釣りは文字通り、水面下の静かな戦いだ。

  まずはエビ漁

 伊予灘に面した山口県東和町沖家室島。松本さんの漁に同行する前夜、長男昭司さん(47)が営む民宿「鯛の里」で一献傾けると、自然と座学が始まった。漁師の寡黙なイメージと違い、話好き。少しかん高い、かすれた声で手の内を明かす。

 「エビは自分で漕(こ)いで生きがええのを使わにゃいけません。夏は紫外線で色がすぐ変わり、魚が食わんようになる」

 まずは「エビ漕ぎ」と呼ぶ、エビ網引きの話。冬なら一時間余りで三、四日分、二十キロも一人で引くと手がはれる。船の生けすに入れて酸素を送り、帰港したらすぐカゴヘ。この夜、客より酒が進む昭司さんが言う。

 「オヤジは昔は波風がきつい港の先端にわざと船を泊めた。採ったエビを生かすためよ。まあ、へんくう(偏屈)よね」

 松本さんは島の生まれで、戦時中は造船所養成工。戦後は時計・ラジオ修理店を営みながら、一九五七年ごろから漁業を始め、六五年ごろから専業漁師になった。

 「潮の流れの変わり目にタイが来る。タイが浮いてくる時もある。底から餌を追ってね…」

 潮の話になって「タイが浮いてくる」の一言に座が静まる。話は自家製の釣り針にも及ぶ。材料はピアノ線。いくつかの工程の後、先端をヤスリですって小さな出っ張り「カスミ」を付ける。カスミは針をくわえた魚を逃さず、しかも外しやすく。そこは長年の勘だ。

 「ピアノ線、一生かかっても使い切れんほど在庫がありますよ」

  老漁師が守る

 翌朝、松本さんは息子の名前にちなんだ「昭運丸」で島の沖合に出漁。「タイが釣れん」と嘆きながら、ヤズを釣る。一週間後、写真記者がもう一度同行すると、五キロと二キロのタイが釣れた。

 明治以降、馬関へ、備讃瀬戸へ、対馬へと出漁し、やがてハワイに至る沖家室の漁師たち。今は松本さんたち老漁師が足元の漁場を守る。この梅雨が明ければ、空き家にも灯がともる「盆に沈む島」の夏がめぐり来る。

2004.6.6

写真・田中慎二、文・佐田尾信作


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