今月初め、倉敷市内の居酒屋で、「乙島(おとしま)ジャコ」を初めて口にした。すしネタとして見かけるシャコの一種と想像していたが、形も味も全く違う。カラッと揚がった殻は香ばしく、腹の身からは磯の香りが広がる。思わず、ぐっとビールを飲み干した。
水島灘に注ぐ高梁川河口部に位置する倉敷市玉島乙島地区。ここの干潟で捕れた穴ジャコが、地名にちなんで「乙島ジャコ」と呼ばれている。普通のシャコは節足動物門の甲殻網で、硬い殻と脚を取り除かなければならないが、穴ジャコは軟甲網。殻が軟らかく丸ごと食べられる。
「空揚げもええが、塩でたいた味も格別よ」と、地元で「ジャコ釣り名人」と呼ばれる原田寿さん(77)が教えてくれた。穴ジャコは、干潟の砂泥にU字形の巣穴を掘る。穴に進入する異物を排除する習性を利用し、筆などを使って穴の外へ誘い出し、すかさず捕まえる。腹に卵を持つ十―五月は誘いに乗ってこない。
2時間で300匹
原田さんのポイントは、クラレ玉島の東に現れる干潟だ。釣り上げた穴ジャコの尾を糸でくくり、別の巣穴に入れて誘い出す「友釣り」で、一度に七、八匹を操る。二時間余りの釣果は三百匹に上る。「ここから南は戦前、ずっと干潟と遠浅だった。どこでもジャコが捕れたもんよ」と、寂しそうに笑った。
十七世紀に干拓で陸続きになった乙島。その沖には、高梁川の流れがはぐくんだ干潟、遠浅が広がり、ハマグリやモ貝、アサリなどの好漁場として栄えた。乙島産の魚介類は珍重され、「乙島ジャコ」の名も広まった、という。
近代に入り、工場用地の埋め立てが戦前から始まる。戦後の水島臨海工業地帯の造成で、河口部の水辺は一変した。干潟に護岸が築かれ、大規模なしゅんせつも続く。ハマグリ、モ貝、アサリなどが姿を消していった。
しかし、穴ジャコはしぶとく繁殖している。玉島歴史民俗海洋資料館長の原田力さん(84)は「泥質を好む性質が環境悪化に対応しやすかった」とみる。釣りシーズンを迎えた今月、護岸沿いにわずかに残る干潟に、「ジャコ捕り」を楽しむ客が繰り出している。ただ、他の地域からやってきた人がほとんどだ。原田さんは「穴ジャコの釣り方も知らん地元の子も多くなった」と嘆いた。
初の大会開く
乙島学区コミュニティー協議会は五日、初めて乙島ジャコの釣り大会を開いた。中国電力玉島発電所東側の干潟に、お年寄りから幼児まで約百五十人が参加した。「地域の味と文化を子どもに受け継いでいかなければ」と原田さん。対岸のJFEスチール西日本製鉄所から響く音が、夢中になって穴ジャコを釣る家族連れらを包んでいた。
2004.6.13
写真・荒木肇、文・古川竜彦