瀬戸内海国立公園指定70周年
「ふるさとの海」  25.スナメリ悠々  牛島沖(光市)

     島々連なる「聖域」
       群れを成し遊泳
         回復の予感満ちる
□
Photo
本社ヘリから見たスナメリの群れ。数頭ずつの集団で泳いでいるように見える。後方は牛島
地図「牛島」

 「あいつがお前、熊毛の沖の祝島で子を生むンじゃが、子を生むと、どうでもこうでも、宮市の天満宮様へまいたもんよ、そりゃ信心深いものよ。へじゃけえ…」

 民俗学者宮本常一の聞き書き、「周防大島を中心としたる海の生活誌」(一九三六年)の一節が気になっていた。スナメリかなと思う半面、文は「何十パイつうほどのテンマ(伝馬船)が出るんじゃけえ」と続くから、もっと大きな鯨かなとも思う。いずれにせよ、かつて山口県東部の瀬戸内海は、そんな鯨類栄える海だったのだろう。

  ボラが防衛線

 六月上旬、スナメリを求め、取材艇で上関町長島沖へ向かう。穏やかな航海もつかの間、奈地田功船長が「おった!」と艇を急停止。茶色の背中が一瞬、波間に消えた。艇は現場に停泊したが、その後は気配がない。あきらめて長島と祝島の間を抜け、光市牛島沖へ。今度はあちこちで気配を感じ、「かなりの数だ」と期待が高まる。奈地田船長の視力にも驚く。

 六日後、写真記者がヘリで同じ海域を飛んだ。勘は当たった。十数頭のスナメリが数頭ずつ群れを成し、遊泳していた。近くではボラの魚群が渦を巻き、スナメリへの防衛線を張っていた。

 ちょっと古いが、九八年四月から一年間の瀬戸内海の「スナメリ発見情報」は、山口県内で三十六件。十頭、二十頭の群れがいた海域は、東和町沖の安芸灘から柳井市平郡島沖、長島沖、光市虹ケ浜沖、周南市大津島沖の周防灘までつながっている。土地の方言でいえば、「デゴンドウ」「ゼゴンドウ」の海だ。

  汚染度の指標

 「小学生のころかな、伝馬船をこいでいると、スナメリが寄ってきた。気味が悪くて櫓(ろ)で追っ払ったけど、今思えばもったいなかったねえ」。特定非営利活動法人(NPO法人)地域交流センター理事の米村洋一さん(60)は東和町出身。九八年に環境庁(当時)から調査を委託された。「食物連鎖上位のスナメリは瀬戸内海の汚染度の指標生物です。回復する予感はありますね」

 この海域を平生町佐賀の高台、光輝病院から見下ろしてみた。長島、祝島、佐合島、馬島が連なるように見え、牛島は佐合島の背後に見える。この島々はスナメリのアジール(聖域)。そんな実感がわいてきた。

2004.6.27

写真・田中慎二、文・佐田尾信作


TOPNEXTBACK