瀬戸内海国立公園指定70周年
「ふるさとの海」  3.灯台とスイセン
六島(むしま)(笠岡)

     新旧シンボルの白
       花咲かじいさん
         守り抜く気概
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Photo
六島灯台に続く坂道に咲くスイセン。白い花弁の中に、黄色の副冠が美しい。島のお年寄りが中心になって、草刈りをしながら、花を咲かせた
地図「六島」

 「花咲かじいさん」の島だ。住民九十人のうち、六十五歳を超えるのは五十六人。その多くがスイセンの島づくりに取り組んでいる。

 笠岡港から定期船で、一時間余り。航海距離にして四〇・八キロ。岡山県最南端に位置する六島(笠岡市)である。香川県の荘内半島まで約四・五キロ。瀬戸内海のど真ん中に位置する。

 「花咲かじいさん」の一人である、六島公民館長の三宅義男さん(78)の案内で、南端にある灯台に足を運んだ。急斜面が続く。未舗装の道の両側に咲く白いスイセンは、まだつぼみ。「やぶに埋もれていたスイセンの球根を株分けして、少しずつ増やしたんですよ」

 歩くこと十五分。海からの南風の影響もあって、既に満開となったスイセンの畑と、灯台が姿を現した。岡山県最古の灯台として一九二二年に建てられた。今は、八四年に自動化のため新築された二代目である。

  潮流速い難所

 「子どものころ灯台の周りで、よく遊んでね。でも、灯台の中には、なかなか入れてもらえなくて」。そう懐かしむのは、もう一人の「花咲かじいさん」の中井久雄さん(77)だ。

 六島沖は本線航路に当たる。頻繁に行き交う大型船を導く灯台は、古くから六島のシンボルだった。潮流の速い海の難所で、灯台守の仕事は、緊張の連続だったらしい。

 島の新たなシンボルとして、自生するスイセンを、守り、育てよう―。そんな機運が盛り上がってから、もう十二年になる。荒れ地が増えていく現状に、心を痛めた三宅さんら有志がコツコツと草刈りに精を出した。島巡りで訪れた人に球根を植えてもらった。

 強力な援軍も現れた。「島おこし海援隊」だ。二〇〇一年、過疎、高齢化に直面する笠岡諸島の振興のため、市長特命組織を発足させた。専従職員は守屋基範さん(40)ら三人。「元気かのう」。週一回は、島を訪れながら要望を聞く。もちろん草刈り作業も手伝う。島民と、淡路島までスイセンの視察に出かけた。

  島民の心一つ

 昨年五月、六島に約三千人が集まった。笠岡諸島で持ち回り開催する運動会。「スイセンづくりで一つになった島民の心なくしては、運動会の成功はなかった」と、三宅さんたちはほほ笑む。

 「花咲かじいさん」にとって、やり遂げねばならない「大事業」がある。これまで学校近くの「スイセンの小道」を整備していた六島小学校が、昨年三月休校になった。「子どもたちが育ててくれた、スイセンを守っておくのが、わしらの責任」―。その六島小には三年後、一年生二人が入学する予定だ。

2004.1.18

写真・荒木肇、文・藤井礼士


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