「あれから生徒たちが『離島魂』という言葉をよく使うんですよ」
山口県最東端の有人島―情島(なさけじま)。情島中校長の角井隆さん(50)が、昨年末の大島一周駅伝の本紙記事を思い出し、笑顔を見せた。この学校の駅伝出場を取材し、「離島魂 熱走四十一年ぶり」の主見出しが付いた。潮の流れが目に見えるほど激しい「情の瀬戸」を冬場に渡り、六区間二一・九キロを完走。沿道の拍手はひときわ、大きかった。
寮で共同生活
人口百四十人余りの情島は、対岸の伊保田港から渡船で十五分。ネコとタヌキの遭遇を時折見かける波止から歩く。ちょうど、島の女性たちが磯で肥料にするヒトデを採り、防波堤でテングサを干している。
集落が途切れると、安芸灘が開け、鉄筋コンクリートの学び舎(や)、情島小・中が見える。隣が一九五一(昭和二十六)年に開設された児童養護施設「あけぼの寮」。戦後は戦災孤児たちを受け入れた。今は家庭内のさまざまな事情で親元を離れた子どもたちが、ここから学校に通う。かつては島の子もいたが、今は中学生十一人、小学生十五人全員が寮生だ。
「外の世界にあこがれが強い子たち。少しでも一緒にいて、いろいろな話を聞かせています」
新任教員の星野由有さん(21)が言う。全員が参加する唯一の部活動、陸上部を同僚の舛田健太郎さん(25)とともに指導している。津和地島(愛媛県)や倉橋島(広島県)を望む風景の中、走り、休み、また走る。
昨年、大島一周駅伝を走った草蛛iくさやなぎ)健太君(16)はこの春、山口県立久賀高に進学した。小学五年の時、まだ三歳だった弟と一緒に情島に来た。
「あの時は、ドラマみたいになっちゃった、と思いましたけど、親のことは忘れるようにした。弟もいますから、自分がしっかりしないと…」
桟橋から激励
淡々と境遇を語る少年は今、陸上部と大島署少年剣道クラブに入り、高校の寮で暮らす。将来は警察官になって弟を育て上げたいという。中学校で同級だった疋田透礼(ゆきひろ)君(15)も同じ高校に進学。島に残る四人の弟たちを気遣いながらも、「世界が広がり、自分の時間が持てた」と言う。
島で取材した夏休み前の金曜日。週に一度、渡船の最終便で帰宅する教員たちが、海岸線を走り続ける生徒たちに桟橋から「がんばれ」と声をかける。渡船が動力音を上げ、桟橋を離れても手を振る。いつかは島を去る先生と子どもたちのドラマもまた、この島の風景―。そう思った。
2004.8.1
写真・荒木肇、文・佐田尾信作