「浜は子供の遊び場だし、またよい仕事場であり、物ほし場であった。昼間よく潮のひいている時は、ここへ麦など乾したりカンコロ(芋の切干)など乾した。春先になると、女たちは筵(むしろ)をそこにしいて針仕事などした」(「私のふるさと」『家郷(かきょう)の訓(おしえ)』岩波文庫)
神に由来する名
民俗学者宮本常一(一九〇七〜八一年)の文章や写真にしばしば登場する郷里の風景の一つが、真宮(しんぐう)(新宮)島だ。かつての山口県大島郡家室(かむろ)西方村、今の東和町西方の沖。神に由来する名を持ち、潮が引くとつながる二つの小島を指す。陸に近い島が「カチの島」、遠い方が「沖の島」。
今も健在な宮本の妻アサ子さん(91)が、真宮島で山のようなカヤを背負う写真がある。一緒に松葉を背負うのは義母マチ。撮影したのは宮本で、一九五七(昭和三十二)年三月のある日。写真では人が働き、遊ぶ、開けた場所が見える。今は防波堤で渡れるカチの島には漁具などが打ち捨てられ、沖の島は岩と樹木が人を阻んでいる。
「ここは岩礁に囲まれた砂浜、磯浜ですね。窒素やリンなどの少ない、きれいな海ですよ」
七月末、水産大学校教授の早川康博さん(55)と院生、学生四人が下関市から訪れた。五月に開館した周防大島文化交流センターの体験学習で、地元の中学生たちに海の生物の調べ方を教えた。
東西で違う情景
手前は足がズブッとはまる砂浜、やがてゴロゴロした石の浜に変わる。防波堤や公共施設が目に入る西の海に対し、島々が点在し外海を感じさせる東の海。干潮で陸地が浮上し、海が二つに割れると、イメージまで違うのが不思議だ。
「海だから、ぬれるのは当たり前じゃろう」
引率した教員が女子中学生たちに声をかける。カニやヤドカリの採集に夢中になっても、スニーカーがぬれるのが気になる。聞けば、このあたりで遊ぶことはないらしい。
「森に風のあたる音と波の音―それは私の気象台でもあった」(「私のふるさと」)
宮本の時代の里人たちは、風の音で花の咲く季節が近いことを知り、波の音で嵐の到来も干潮の時刻も知った。真宮島にいると、里の子どもの泣き声や寺の木魚の音まで聞こえたという。今の島では、車の騒音などにかき消され、もうそれは聞こえない。
2004.8.15
写真・荒木肇、文・佐田尾信作