「さあ、行こうか」。長袖シャツにズボン。普段着のまま自宅前の海に入り、腰までつかって海藻を採る白須トシ子さん(67)。「ニシもいる。来月になればヒジキが伸びる。みんな海からの授かりものです」
因島南東部の三庄湾。白須さんの家は湾岸道路沿いにある。春夏秋冬を問わず、浜へ出るのが日課のようになっている。仕事ではない。
「年寄りの道楽、ただの遊びよ」と大笑いする白須さんと一緒に海へ入った。台風16号が太平洋を北上していた八月下旬。まだ四国のはるか沖合だったが、海は少し荒れ始めていた。それでも、さして気にしない。
目当てはイギス。瀬戸内海に広く分布する海藻で、赤茶けた髪のようにも見えることから漢字では「海髪」と当てる。乾燥させたイギスをだし汁で煮て、大豆粉などを加えて固めると郷土食「イギス豆腐」になる。
手早く袋詰め
「あったよ」。足で感触を確かめ、小さなくま手でからめ取る。波打ち際を漂うイギスも丹念に集め、袋に詰める。さすがに手早い。その姿は、家庭菜園で収穫を楽しんでいるように見えた。
例年なら七月中旬から九月上旬まで採れるそうだが、今夏は盛りを過ぎるのが早かった。「台風が何回も来たからだと思う。ただ、私がくたびれんように、神様が早うになくしてくれたんかも…」。自然のリズムにあらがわず、天の気ままを素直に受け入れる。
浜は子どものころから遊び場だった。造船所で働いていた夫の転勤に伴って九州へ。一九八三年に夫が五十歳で病死したため、因島へ戻り、食堂や縫製工場でのパート収入、年金で家計を賄った。再び浜へ通い詰めるようになったのは約十年前。四人の息子が独立してからだった。
収穫は友人に
「自由な時間が持てるようになり、自然と足が向いた」と白須さん。夏はイギス、秋はヒジキ、冬はワカメ、春はテングサ…。ふるさとの海は温かく迎えてくれた。収穫は島内外の友人たちに配り、余れば市場に出す。
浜はお年寄りを中心にした交流の場にもなっている。「日によっては何十人も集まるイギスの時期が一番楽しい」。近くに住む金久勤さん(73)は造船会社を定年退職後、通うようになった。その中でも「白須さんほど熱心な人はいない」(近所の商店主)と評判だ。
白須さんと海へ出て約一時間。波がやや荒くなったので、こぶし大の小石に覆われた浜辺を戻る。炎天下での作業で体力を消耗しているはずなのに、白須さんは歩くのが速い。「海で時々、水中歩行の訓練もしているから…」。海はフィットネスの場でもあった。
2004.9.5
写真・田中慎二、文・三藤和之