瀬戸内しまなみ海道を生口島北インター(因島市)で下り、近くの洲江港からのフェリーに乗り継ぐ。ほんの五分足らずで、対岸の愛媛県上島町岩城島に着いた。近年、すっかり「青いレモンの島」という呼び名が定着している。
鉄音が響き渡る造船所そばの坂道を五百メートルほど上ると、緑一色に染まったレモン畑が広がっていた。吹き上がってくる潮風に、直径五センチほどに育った「青い」果実が心地よさそうに揺れる。
レモンの「青」色は葉緑素で、実際の果実の色は緑だ。「でも緑じゃ雰囲気が出ない。やっぱり青がしっくりくるでしょ」と、島内にある愛媛県立果樹試験場岩城分場長の脇義富さん(57)。「青いレモン」の名付け親で、輸入自由化などで途絶えていたレモンを島の代名詞になるまで復活させた立役者である。
「黄」との戦い
岩城島の分場に赴任した脇さんは一九七二年、生産過剰気味だったミカンに代わる栽培品種の導入に取りかかる。県内では注目されなかったレモンにひかれ、「アレン・ユーレカ」という品種に目を付けた。花が四季咲きで、年に二、三度収穫できる。ハウスで出荷の時期を管理すれば、労働力の少ない島での栽培にうってつけだと考えた。
ところが、市場では輸入を中心に黄色いレモンが幅を利かせていた。レモンは本来、緑色だが、気温の低下や鮮度を保つためにエチレンガスを使うと黄色に変わる。夏から秋にかけて収穫する「緑」のレモンが、なかなか受け入れてもらえなかった。
そこで、脇さんは「青いレモン」と書き込んだ段ボール箱を抱え、東京、大阪の青果商を回った。もぎたてのみずみずしさや新鮮さのイメージを「青」に込めた。
自治体後押し
八〇年代になると、市場にも「青いレモン」が認知され始め、岩城村(当時)もレモン栽培をバックアップ。苗木の無料配布やハウス向けに低利子融資…。ゼロから始まったレモン作りは現在、農家約六十戸が十二ヘクタールで、年間に百七十トンを出荷するまでになった。対岸の広島県瀬戸田町は年間千トンを出荷する日本一の産地だが、岩城島では「品質のよいハウス栽培を増やしたい」(上島町岩城総合支所)という。
「台風の当たり年。この夏は苦労した」と、レモン作り二十五年の砂川恵さん(70)。それでも好天の日も多く、出来は上々だ。「安全な食」への関心やインターネットの普及で、個人からの注文も増えている。昨年からは、減農薬の「エコ・レモン」の栽培も始めた。「喜んでくれる消費者がいるから頑張れる」。砂川さんはつややかに輝く「青い」果皮をなでながら、これから本番を迎える出荷を楽しみにしている。
2004.10.17
写真・田中慎二、文・古川竜彦