竜宮城から戻り、乙姫にもらった宝物を置いた「積(つむ)」、玉手箱を開けた「箱浦」、玉手箱からの白煙が紫色の雲となり、たなびいた「紫雲出山(しうでやま)」。生誕地の「生里(なまり)」、「箱浦」には墓も…。
遠浅の浜辺で
香川県西部の瀬戸内海に突き出した荘内半島(詫間町)。浦島太郎伝説が語り継がれ、ゆかりの地名が数多く残る。子どもにいじめられていたカメを浦島が助けたのは半島中西部の鴨(かも)の越(こし)。遠浅な浜で、潮が引けば約二百メートル先の丸山島まで歩いて渡れる。
「岩もあり、カメはここで立ち往生した。つらかったろうに」。着物に腰みの姿で、釣りざお、玉手箱を携えた山田要さん(79)が、浜辺で語り聞かせてくれた。「三代目浦島太郎」として、観光客の案内や子どもたちへの伝承活動に取り組む。
地元で関係資料などを収集している北池栄さん(79)によると、荘内半島の浦島太郎伝説は一九四八(昭和二十三)年、元小、中学校長の故三倉重太郎さん(今年一月、百三歳で死去)が郷土史の研究成果を基に、初めてまとまった形で発表した。町史にも「伝説を地名と巧みに結び付けた物語」と記録されている。
詫間町と合併前の旧荘内村長が農業、漁業に続く新産業として観光に注目。五〇年に一帯が瀬戸内海国立公園に編入されたのを機に、浦島伝説による観光振興の機運が一気に高まった。その中で、雑貨商の男性が名乗りを上げて初代浦島太郎に。元病院職員の山田さんは退職後の八三年、三代目を襲名した。
「変身」は自腹
「町長に懇願され、断り切れなかった」。無報酬で、衣装も自前。七三分けだった髪を三年かけて伸ばし、自毛でちょんまげを結わう。あごひげもたくわえた。貝殻に「夢」の文字をあしらったり、小さなヒョウタンに「浦島の里」と書いたりした小物を自ら作り、案内した子どもらに贈っている。
「夢や希望を与えたい」との願いからだが、最も気掛かりなのは環境の変化。かつて潮干狩りの名所だった鴨之越のアサリは激減し、半島の自然海岸も減りつつある、と嘆く。海辺で遊ぶ子どもも少なくなった。
浦島伝説は、詫間をはじめ北海道から沖縄まで全国二十カ所以上に残る。伝説に由来する地名や史跡も多いが、「白砂青松が広がり、ウミガメが安心して生息できる海がないと成り立たない」と山田さんは危機感を募らせる。浦島伝説には未来永劫(えいごう)、海と親しみ、守ってほしいとのメッセージが込められているのかもしれない。
2004.11.14
写真・荒木肇、文・三藤和之