夏場、よく冷やした素麺(そうめん)ののど越しは格別。衰えがちな食欲を呼び覚ましてくれる。その風味と腰の強さは、ほぼ半年前の寒風が鍛えていた。
小豆島北西部の土庄(とのしょう)町伊喜末(いきすえ)地区。ハタに掛けた素麺が瀬戸内海からの横風にさらされる。片側の一巻きで長さ約四百メートル。中岡昇さん(66)が外ばしと呼ばれる棒で、麺がくっつかないようにほぐす。四時間前後の天日干しで白さを増し、特に上質とされる寒製麺になる。
総延長8万メートル
工程は二日がかり。小麦粉に食塩水を加えて混ぜ合わせる「おで」に始まる。これを長さ二十メートルの太い紐(ひも)状(幅九センチ、厚さ六センチ)に加工。少しずつ延ばしては寝かせて熟成させる手間を繰り返し、最終的には太さ一ミリ弱、総延長約八万メートルの白糸になるという。
「おでで品質が決まる。腕の見せどころよ」。気温や日照、風などをあらかじめ予測し、水と塩の加減を調整する。天日干しは二日目の午前中。翌日の気象条件も読まなくてはならない。雲行きだけでなく、はるか上空を通過する旅客機のエンジン音も聞き逃さない。「はっきり聞こえると湿度が上がる」。職人は「気象予報士」でもある。
小豆島は、揖保乃糸(いぼのいと)で知られる兵庫県龍野市、素麺の古里と呼ばれる三輪(奈良県桜井市)などと並ぶ主要産地。島での製造は約四百年前から。伊勢参りに出掛けた人が三輪で製法を学び、技術を伝承したとされる。
表面にゴマ油
もともと小麦が栽培され、内陸部の産地と違い塩にも不自由しなかった。雨が少ない瀬戸内海の気候も強みだった。「延ばす際、表面にゴマ油を塗るのが小豆島産の特徴で、抗酸化作用が品質保持につながる」と小豆島手延素麺協同組合の木下成晴さん(53)。これも先人の知恵である。
組合を通じての二〇〇二年度出荷量は約十九万箱(一箱十八キロ)。一九九〇年代前半には約三十一万箱に達していたが、減少傾向が続く。天日干しや十分な熟成をせずに大量生産する他産地の安い製品が台頭。食生活の変化や長引く景気低迷も影響する。
最盛期には二百六十八業者が加盟していたが、現在は四割減の百六十九業者。一日の作業が午前三時に始まり、午後八時か九時には寝る「素麺時間」での生活が続くため、後継者も減った。そんな中、中岡さん方では二男健吾さん(32)、三男哲也さん(27)が柱になりつつある。
「夜遊びはできないけど…」。健吾さんはスポーツインストラクターを目指し、大阪の専門学校に通っていたが、十二年前に帰郷した。「覚えることは多いし、失敗もある。だから技を習得し、極めてみたい」。島の若手は伝統の素麺に負けず劣らず腰が強い。
2004.2.1
写真・荒木肇、文・三藤和之