瀬戸内海国立公園指定70周年
「ふるさとの海」  9.カモメと孫娘 因島市大浜
     せがまれ餌付け再開
       群れ飛び集う姿
         私の生きがいなんよ
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「来年もおいで」と語りかけながら、カモメにパンくずを与える須山さん(左)と、孫の支央理ちゃん。後方は因島大橋
地図「因島市大浜」

 「大げさかもしれないけれど、これが私の生きがいなんよ」。カモメたちに、パンくずを与えながら、因島市大浜町の須山澄子さん(68)は、長かったようで、短かったこの七年間を振り返る。

 餌付けを試みた時期と、自身へのがんの宣告はほぼ同じだった。一九九七年十二月のことだ。九歳の時、広島市内で被爆したこともあり、体は丈夫でなかった。がん手術は成功したが、再発の恐怖が頭をよぎった。

  病状持ち直す

 ユリカモメとの交流が生きる力を与えた。「家のシャッターを開けるだけで、寝床にしているノリ養殖のブイから一斉に飛び立って来るんよ」。ふさぎ込みがちだったが、病状は次第に持ち直した。

 そのころ、須山さんに、うれしい知らせが飛び込んだ。島の反対側に住む中郷ユリ子さん(74)が、ユリカモメが飛び交う早春の漁港を写した「大浜港」で、二〇〇一年度観光写真コンテストの市長賞に輝いた。

 七年前から、月に一度、公民館の写真教室に通う中郷さんが、須山さんとユリカモメの交流を聞き付け、シャッターを押した。「飛び交うカモメは、島ではよく見る風景。だが因島大橋をバックにしたこの写真は、人々の心をとらえた」と、主催者の因島観光協会の講評にある。

 ユリカモメとの関係が、途絶えたことがある。同居していた長男(39)の妻が、双子を生んで間もなくして、亡くなったからだ。だが「おばあちゃん、私も…」。孫娘の支央理ちゃん(2つ)にせがまれて、昨冬から餌付けを再開した。

  並んでお別れ

 「ガンボ」と名付けた気になる一羽がいる。仲間が餌を狙うと、横から邪魔をする。少し首をかがめて歩くので、すぐに分かる。「この子は、もう四、五年前から渡って来るかねぇ」。「ガンボ」を指さしながら、いとおしそうに教えてくれた。

 「カモメは宝物の在りかを知っている」―。冬の渡り鳥を観察する日本鳥類保護連盟専門委員の梶野眞正さん(78)=福山市水呑町=は指摘する。カモメは餌が豊富な所に集まる。海に小魚が減ったため、餌を求めて、海岸辺りまで近づいている、とも考えられるというのだ。

 毎年三月、シベリアに向かって飛び立つ前日は、約二百羽のユリカモメたちが防波堤に二列に並ぶという。「きっと、お別れのあいさつをしているのよ」。須山さんは支央理ちゃんに、そう教えるつもりだ。

2004.2.29

写真・荒木肇、文・藤井礼士


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