中国新聞社
2011ヒロシマ
'11/7/25
碑は語る<1> 広島市立高女原爆慰霊碑<動画あり>


 ▽級友奪った「核」を封印

 広島市の街明かりと対照的に、河岸の闇に浮かぶ「E=MC2」。核時代につながる公式を刻んだ箱を、もんぺ姿の女学生が抱える。あの日、級友を焼いた原爆を永遠に閉じ込めるかのように。

 万成石の碑は、平和大橋西詰めに立つ。周辺で建物疎開作業中だった市立第一高等女学校(現舟入高、中区)1、2年生計約540人の犠牲を伝える。

 1948年、平和塔の名で同校跡に建立。57年、現在地に移された。山口県出身の彫刻家河内山賢祐氏が物理学者の湯川秀樹氏を京都に訪ねて原子力の意味を問い、デザインした。占領下、「原爆」という文字を使わず表現したともいわれる。

 説明板には「原子力の世界最初の犠牲として人類文化発展の尊い人柱」とある。当時2年生の矢野美耶古さん(80)=西区=は「放射線の影響を知らず亡くなった被爆者も多い」と語る。福島原発事故は「平和利用」の闇をさらした。被爆地は原子力とどう向き合うのか。問い続けている。

    ◇

 核の脅威を訴え続けてきた被爆国で今年、原発事故による新たな被曝(ひばく)者を生んだ。原爆投下から66年。「あの日」を忘れまいと、広島の街角に立つ碑は何を語り掛けているのか。8月6日を前に歩いた。(写真・宮原滋、文・馬上稔子)

 動画はこちら

【写真説明】夜の闇に包まれた慰霊碑。「原子力」の箱を持ち犠牲となった少女に2人の友が寄り添う



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