中国新聞社
2011ヒロシマ
'11/8/2
<時代映す平和宣言2>今年の宣言のポイント

 松井市長が読み上げる今年の平和宣言は、被爆体験の公募や選定委員会による議論など、起草方法に独自の手法を取り入れた点に注目が集まった。今年の宣言をめぐるポイントを整理する。

 ■起草の方法 被爆体験を初めて公募

 松井市長は就任直後から「被爆者の言葉や思いを取り込んだ平和宣言をつくる」と述べ、体験継承を重視する姿勢を強調。宣言に盛り込む被爆体験文を初めて公募し「市民参加型」を印象付けた。

 平和宣言は被爆地を取り巻く国内外の情勢を踏まえ、市民の代表である市長が世界に発するメッセージ。歴代市長は有識者から意見を聞いた上で、事務方の原案を基に自ら起草した。内容には各市長の個性がにじむ。

 松井市長は当初、長崎市のように起草委員会を設ける方式の採用を検討した。これに対し被爆者からは「私はこれを訴えたいと覚悟を示すことが大事。それが市長に託された責務だ」との声が出た。

 そうした意見を踏まえ松井市長は「最終責任として市長がまとめるが、プロセスでは多くの意見を入れる方が市民の思いを託された宣言文になる」と説明。被爆体験の公募や選定委員会による議論を経る「折衷案」を導入した。

 ■選定委議論 若い世代意識を望む声

 広島市は6月1〜20日に被爆体験の文案を募り、73点が寄せられた。7月7日に被爆者団体や有識者、報道関係者たち委員10人からなる被爆体験の選定委員会の第1回会合を開き、採用作を絞り込んだ。19日の第2回選定委では宣言文の骨子案の全体を提示した。

 計2回の会合では、被爆体験に関し、被爆前の市民の日常が浮かぶ情景を入れてほしいとの要請や、若い世代が自分に置き換えられるような体験談の採用を望む意見が出た。東日本大震災に伴う福島第1原発事故を受け、核の平和利用への警告を求める声もあった。

 ■宣言の概要 原発是非は言及せず

 平和宣言には二つの被爆体験を採用した。冒頭、市内有数の繁華街だった平和記念公園一帯を回想する。日曜日だった被爆前日の平穏な日常を描く。

 続く体験談では一発の原子爆弾で街が壊滅した惨状が浮かび上がる。爆風で吹き飛ばされ、皮膚が焼けただれる。「助けて」と泣き叫び、母に助けを求める声が多く聞こえる。だが、自身も傷つき助けることができない無念…。原爆の非人道さを鋭く告発する。

 そのほか核不拡散体制を議論する国際会議の誘致や、被爆時の広島の惨状をほうふつとさせる東日本大震災の被災地を思いやり、エールを送る。黒い雨の問題も指摘し、国に援護策の充実を求める。

 福島第1原発事故で脱原発の世論が盛り上がる中、「核と人類は共存できない」との故森滝市郎・広島県被団協初代理事長の言葉を引用。再生可能エネルギーの活用を求める声などと併せ、国にエネルギー政策の見直しを求める。一方で「原爆と原発は違う」との松井市長の基本認識や、市民にさまざまな考えがある現状を踏まえ、原発の是非には言及しない。

 広島市は2日、今年の平和宣言の骨子を正式発表する。

【写真説明】平和宣言に盛り込む被爆体験を選定する委員会の第2回会合。テーブル奧の右から3人目が委員長の松井市長(7月19日)



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