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8.6探検隊

(19)「原爆にパラシュート」って本当?

Q

投下された原子爆弾に、パラシュートがついていたって本当ですか。




A

同時投下 計測器に装着

僕も被爆者に「パラシュートがついていた」と聞いたことがあるぞ。さっそく調べてみた。

風圧などを調査

「原爆ではなく、計測器についていました。爆発による風圧などを測るため、一緒に投下されたんです」。原爆資料館(広島市中区)の落葉裕信学芸員(30)に教えてもらった。ヒロシマピースボランティアをしている原田健一さん(62)=東区=によると、パラシュートをつけると風に流され、狙った場所に落ちないから、つけないんだそうだ。言われてみればナットク。

ところが広島市の「原爆被爆者対策事業概要」には1990年版まで「飛行機の落としていった落下さん(パラシュート)」が「爆発」と書いてあったんだって。91年版は「自由落下」になっている。市原爆被害対策部の福岡美鈴調査担当課長は「史実と違うので直したようだ」という。そんな時期もあったんだね。

米軍の資料などによると、原爆を積んだ米軍B29爆撃機エノラ・ゲイ号は科学観測機、写真撮影機と一緒にヒロシマ上空に来た。このうち観測機が、データを無線で送る3つの計測器を落としたんだ。徳山高専(周南市)の工藤洋三教授が手に入れた米軍の報告書には「最大圧」「直接の爆風と地面から反射した爆風の時間の間隔」などを調べたとある。

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願船坊に保存されているパラシュートとひもの一部を見る秋津住職

安佐北区に落下

では、パラシュートと計測器はどこに行ったのだろう。答えは現在の安佐北区の住民の手記などにあった。原爆がさく裂した約1時間後に、同区亀山地区と周辺の水田や山に落ちたという。爆心地から北北東へ約15キロ離れた場所だ。

計測器の一つが近くに落ちた報恩寺の元住職、故高蔵宣秋さんは手記に「米兵がきた」「時限爆弾じゃ」と大騒ぎになったと書いている。「爆弾なら水で冷やせ」と言われ田に水を引き入れたという。住民の慌てた様子がよく分かるね。

原爆資料館には現在、軍が回収した計測器とともに、パラシュートの一部が展示されている。

寄贈した故栗原雅男さんの長男、隆幸さん(74)=安佐南区=によると、パラシュートは住民が分けたという。物不足の時代、布は貴重だったんだ。当時1歳だった隆幸さんの妹のシャツなどに使われたという。やはり一部を保管している近くの願船坊=秋津慈雲住職(75)=も「当時、座布団にした人もいたそうです」と記憶する。

亀山の住宅地に近い山中にはパラシュートが「落ちた地点」と記した石碑と観音堂がある。山の持ち主で、長男を原爆で亡くした故安光覚遊さんが1990年に建てた。毎年8月6日に住民が原爆犠牲者の供養を続けている。(見田崇志)


 
 

なるほどキーワード

  • ヒロシマピースボランティア

    原爆資料館や平和記念公園の案内や展示品の解説をしている。広島平和文化センターが1998年度から毎年募集し、現在187人が登録している。