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8・6を伝える

はらみちをさん「ピカドンたけやぶ」

cd 原爆投下後、竹やぶに逃げてきた多くの人たちが亡くなり、悲しみに暮れていた竹やぶ。そんな中、全身にやけどを負ったかずゆき少年が、竹やぶに生えていたツワブキの葉をいぶして張って治ったことを知る。

人間の希望を追い続けた/すべての命大事にしたい



はらみちをさん

はらみちを

1928年、神戸市林田区(現兵庫区)生まれ。父の死去に伴い37年、広島県大朝町(現北広島町)に移住。68年に広島市東区に移り創作活動を始める。70年、中国新聞80周年記念論文「人間」で最優秀賞、72年、トヨタ40周年論文で特選など。2006年4月に三次市君田町に「はらみちを美術館」が開館した。

爆心地から北東に約2・5キロ。住宅街の中に青々と茂った竹やぶがあります。中に防空壕があります。広島に原爆が投下された時、多くの人が避難しました。その実話を基にした絵本「ピカドンたけやぶ」。1983年の出版後、ドラマやミュージカルになりました。今でも「ピカドンたけやぶ合唱祭」が毎年開かれ、竹やぶを守る会もあります。「うれしいことだね」と素直に喜びます。

40年余り前、この竹やぶに隣接した民家に引っ越しました。竹やぶの前を通るたびに合掌するお年寄りの姿を何度も見ました。その中の一人、近所の女性に「どうしてお祈りしてるんですか」とたずねると「口に出して言えない」と言われました。しかし徐々に話してもらえるようになり「原爆で大やけどした息子が、竹やぶがあって助かった」と聞きました。「逃げてきた人を竹やぶが母のように抱いて、静かに癒やしてくれたんだ」と知ったのです。作品を制作するきっかけになりました。

「人間というのは絶えず生きていこうと思っている動物で、前向きにできている。絶望を追うのでなく、希望を追っていかんにゃあならん」と絵本に込めた思いを話します。だからこそ、大やけどした「かずゆき少年」が「バンザーイ!すっかりよくなったよ。たけやぶさーん、ありがとう!」と力強くお礼を言っている場面をいきいきと大きく描いたのです。

「建物はいつか崩壊するが、竹やぶには絶えず新しい竹が生える。原爆の生き証人として永久に残したい」と願っています。近くの幼稚園や保育園の先生が灯籠(とうろう)や七夕飾りを作るのに竹をもらいに来ます。「何も知らない無垢(むく)な子どもたちがピカドンたけやぶを知り、二度と原爆を使ってはならない、と考えてもらえれば」と期待します。

世界には今も2万3000もの核兵器があります。「使わないでも持っている、抑止力。人を信じる世の中になっていない」と指摘します。信じることができれば、核兵器も要らないし、戦争をする必要もありません。勝ち負けで争わなくていいのです。「僕のような弱者は勝つことをあきらめているから戦わない。人を憎まないし殺さない。人の命を大事にする。あらゆる命と仲良くしていこう、と考えるんです」

脳性まひで、ずっとお母さんに背負われていました。「お母さんのうなじに汗が流れているのをよく知っていた。母さんの背中のぬくみを何かで表現したい」と創作活動を始めました。「スピードはないが、体に応じてできんことはない」との信念を貫き、今も詩画の制作に取り組んでいます。(二井理江)


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竹やぶを人に見立てて描いているのが印象的でした。この竹やぶの中には防空壕があり、原爆投下後、けがややけどをした人たちが運ばれてきました。黒い雨が、祈りのかいなく死んでいった人を悲しむ竹やぶの涙となっている場面に、心が痛みました。

でも2年後、やけどをして運ばれてきた、かずゆき少年が声を張り上げて「バンザーイ、バンザーイ!もうすっかりよくなったよ。たけやぶさーん、ありがとう!」と言うのを聞き、竹やぶはすごくうれしかったと思います。少しは、竹やぶの心の傷が癒えたんじゃないかと思います。

原爆に心を痛めているのは、人だけではないのだなと感じました。


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