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 西谷 文和(上)  繰り返されている悲劇


カブールの難民キャンプで支援物資の食料を配り終えたところ。中央が筆者(2010年10月)

にしたに・ふみかず

1960年生まれ。85年から吹田市役所(大阪)に勤務。趣味として一人で旅したイラクで、劣化ウラン弾の影響と思われるがんの子どもたちに出会い、日本から支援する「イラクの子どもを救う会」を2003年12月に設立。04年末に市役所を退職し、戦場ジャーナリストに。人道支援の非政府組織(NGO)と、ジャーナリストとして戦争犯罪を告発する活動を続けている。06年度「平和協同ジャーナリスト基金賞」を受賞。吹田市在住。

「な、何やこれは…」。赤ちゃんの背中には頭より大きな腫瘍ができていました。背骨を通る神経がまひして下半身は不随。背中が痛いのか、おなかがすいているのか、泣き声が小さな部屋にこだましていました。

イラクの首都バグダッドから南へ車で1時間、ツワイサ核施設近隣のワルディーヤ村。2003年4月、フセイン政権崩壊後の混乱期、この核施設が盗賊に荒らされ、ウランの詰まったドラム缶が川へ投げ捨てられました。

村では背中の曲がった羊が生まれるようになりました。原因不明の手足のしびれを訴える子どもも相次いだのです。


■     ■


私は当時、吹田市役所に勤める公務員でした。休暇を取ってイラクに来たら、バグダッドの子ども病院はがんの子どもであふれていました。米軍が使用した劣化ウラン弾が、子どもたちの命を奪い始めていました。

病院は悲惨でした。頭に腫瘍ができ目が見えなくなった子、太ももにソフトボール大の腫瘍ができた子、クラスター爆弾の破片で失明した子…。

私がイラクを取材している時、日本人3人が拉致されました。「イラクで拘束されたのは迷惑な話。自己責任だ」。小泉純一郎首相が叫ぶと、日本の世論は「自己責任」バッシングとなりました。

私にも「自己責任」の追及が始まりました。「もし何かあったら吹田市の責任になる」「2週間も休暇を取れるなんて、市役所は人が余っている。人員を削減せよ」「地方公務員のくせに国の悪口を言うな」…。公務員のままイラクに行けば、迷惑がかかります。市役所を辞めるか、イラク行きを断念するか。必死で生きようとしているイラクの子どもたちの姿が脳裏に浮かびました。公務員はゴマンといる。イラクに行ける人物はそれほどいない。よし、公務員を辞めよう。

04年末、フリージャーナリストに転身しました。「イラクの子どもを救う会」代表として活動に専念しました。家族を抱えて生活できるかどうか、不安でしたが、あのまま公務員を続けていたら一生後悔したでしょう。私は月々の給料を失いました。でも貴重な時間を手に入れました。

何の制約もなくなった私は、日本で寄付金を集め、イラクに持っていきました。がん病院で薬を配ったり、難民キャンプに毛布や食料を配布したりしながら、現地取材を続けました。


■     ■


米国の大統領がオバマさんに代わりました。「これで戦争が終わるのでは」。私は期待しました。彼はイラク戦争を終息に向かわせましたが、アフガニスタンではより激しく戦争を拡大させました。ノーベル平和賞をもらっていながら、何ででしょう。話し合いで解決すればいいのに…。

私はアフガニスタンにも行き始めました。ここでも劣化ウラン弾が使われ、誤爆で子どもたちが焼き殺されていました。日本では「広島・長崎の悲劇を繰り返さないでほしい」と言いますが、ヒバクシャは増え続けています。米軍が村を焼き払うので、被害者の中から「ニュータリバン」が生まれていました。

憎しみの連鎖。テロとの戦いって一体何なんだろう? 日本はこの戦争に協力していていいのだろうか? そんな疑問を抱きつつ、年に数回、アフガニスタンとイラクを訪問しています。

 
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