第2部 日米のはざまで@

2006.04.18
 ☆招集令状☆    揺れる心抑え米軍入隊 
 
米ミネソタ州ミネアポリスの陸軍語学学校での行進訓練(本人提供)

 夢見心地で汽車から降りたワット(本名ワタル)・ミサカ(82)を一枚のはがきが待っていた。一九四四(昭和十九)年四月、前月末の全米大学バスケットボール選手権(NCAA)を制したユタ大のメンバーとともに、ニューヨークから米ユタ州ソルトレークシティーへ戻った。祝福の人だかりの中から歩み寄った母タツヨに、米軍の招集令状を手渡された。

 辞退したチームの代役で出場したNCAAの決勝で、劇的な勝利を収めた。ミサカへのはがきは、そのころ届いた。亡き父親と同じ広島県岩子島村(現尾道市向島町岩子島)出身の母は、ソルトレークシティーの駅で長男が乗った汽車を待ちわびた。母はこれまで、出迎えなどしたことはなかった。

★開戦聞き混乱

 四一年十二月七日(日本時間同八日)、日本軍が米ハワイの真珠湾を攻撃した。ミサカはこの日をはっきりと覚えている。十八歳の誕生日を二週間後に控えた日曜日、母の理髪店「バーバー・ミサカ」を手伝っていた。ラジオが速報を伝えた。「日本と米国が戦争を始めた」。母は動揺し、ミサカ自身も混乱した。「自分は米国人だと思って生きてきたし、そう教えられてきた。だけど…」

 日本人と日本にゆかりがある日系人は開戦で「敵性外国人」になった。午後八時以降の外出は禁止、ラジオやカメラも没収された。ユタ州オグデンの南には米空軍ヒル基地があった。日本人と日系人は基地そばを通るハイウエーの通行を禁じられ、ソルトレークシティーへ行くには遠回りを余儀なくされた。

 日本人仏教会で日本語を教えていた僧侶たちは、「危険人物」として連邦捜査局(FBI)に捕まった。ユタ州トパーズの日系収容所には、米西海岸から多くの日本人と日系人が移ってきた。

★自分は米国人

 日本軍が中国東北部に侵攻したと聞いたタツヨは「日本がやっていることは正しくない」と憤った。ミサカは戦時中に話が及ぶと、苦しげな表情を見せる。「母は日本人、米国で生まれた自分は米国人だから…」。二つの国の間で心が揺れた。

 この国で生きるために、日系二世たちは米国への忠誠心を示し、祖国日本と戦うことを選んだ。招集されたミサカは四四年六月、ユタ大横の米陸軍ダグラス基地へ入隊した。

 尾道市ゆかりの日系二世のミサカは身長五フィート七インチ(約一七〇センチ)とバスケット選手としては小柄ながら、約二年間の米軍生活を挟んで、ユタ大で二度の全米大学王者に輝く。そして、白人以外で初めての選手として米プロバスケットBAA(現NBA)のニューヨーク・ニックスへ入団する。〈敬称略〉



8月19〜24日 世界バスケ1次リーグ広島開催