第2部 日米のはざまでC

2006.04.21
 ☆岩子島☆    「古里」で深めた きずな 
 
ミサカの親類が保存している、岩子島の母の実家で撮った写真

 尾道市向島町岩子島は、向島の西隣に浮かぶ周囲約八キロ、瀬戸内海の小さな島だ。ここで、ワット(本名ワタル)・ミサカ(82)の両親は生まれ育った。ミサカは一度だけ島を訪ねた。一九四六(昭和二十一)年春、休暇を利用し汽車と船を乗り継いで、やってきた。

 東京の米軍横田基地に所属していたころだった。「両親の古里、岩子島へ行こう」と思い立つ。尾道まで汽車に揺られ、船で向島へ渡った。ほおかむりをしたおばあさんがこぐ小さな舟で岩子島へたどり着いた。

★島中が大騒ぎ

 両親から島の思い出を聞いたことはなかった。大きな島なのか、山があるのか…。親類を訪ねる手掛かりは「三阪」と母の旧姓「村上」だけ。島には三阪、村上姓が多い。「びっくりしたよ。たくさんの『ミサカさん』と『ムラカミさん』がいたから」。唯一、記憶に残る母の兄、相治(あいじ)の名前を唱えて一軒ずつ訪ね歩いた。

 父の房一は〇二(明治三十五)年、母のタツヨは二二(大正十一)年に米国へ移り住んだ。母は手紙や息子の写真を岩子島の実家へ送っていたが、四一年の開戦以降滞りがちだった。そこへ、ミサカがひょっこりと現れた。

 ぴしっと折り目がついたズボンと革靴をはいていた。日本人の顔立ちながら、米軍の軍服を着た青年の登場に島は大騒ぎ。視線を感じながら母の実家を探し当てると、祖父の村上源太郎や伯父の相治らが出迎えた。「ムラカミアイジさんはだれですか」「私です」。短い会話を覚えている。

★親類との交流

 いとこの三浦ルリ子(74)は「家にあった子どものころの写真を見たことがあった。くりくりっとした目で、ワタルさんだと分かった」。別のいとこの息子である三阪一徳(65)は「米兵は珍しくて、みんなで寄ってねえ」。ガムやチョコレートをもらった思い出を懐かしむ。

 いとこらと家の裏山の「東岩岳」に登った。標高は百十八メートル。島で二番目に高い山の頂上からは、青緑色の海の向こうに尾道や三原、因島、向島が見えた。山並みが「故郷」の風景として心に刻まれた。数日間の滞在で、母の家族とすき焼きなどを囲んだ。

 別の休みには、広島市向洋大原町(現南区)に住む母の弟、喜作も訪ねた。いとこと海岸で遊び、旧国鉄向洋駅近くの写真館で喜作の家族とともに記念写真を撮った。

 父の房一の家族を見つけ出すことはできなかった。しかし、ミサカは両親の古里に触れ、親類とのきずなを深めることで、自分と日本とのつながりを感じ取っていた。<敬称略>



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