第4部 パイオニアA

2006.06.08
 ☆気配り☆    世話好き 周囲まとめる 
 
1977年8月、ミサカ(右端)が計画し、職場の元同僚たちと米ワイオミング州へハイキング(本人提供)

 「みんなをまとめるのが上手なんだ」「ワットが計画してくれた」―。ワット(本名ワタル)・ミサカ(82)の人柄を語る際、家族や友人たちはいつも、「グッド・オーガナイザー(世話人)」の言葉を付け加える。

★イベント計画

 一九四八年六月にユタ大を卒業したミサカは、エンジニアとなった。五七年からは地元の軍事工場でミサイル制御システムの設計を担当した。同僚だったモント・デーミング(74)は今でも兄のように慕う。夜遅くまでの残業や複雑なプログラムをつくるとき、率先して働き、周りを励ます姿を覚えている。「ワット(ミサカ)はいつも、何とかして『答え』を持ってきてくれた」

 仕事だけではない。ゴルフやハイキング、釣りなどさまざまなイベントを計画し、参加者へ連絡、地図を渡した。撮った写真は焼き増しする。デーミングは「私たちは参加するだけで済んだ」と、かいがいしい働きぶりを紹介した。

 全米日系人ボウリング協会(JANBA)の大会では何百人分ものハンディを記入して賞品も手配。米ユタ州ソルトレークシティーの日系人ゴルフリーグも設立にかかわった。根っからの世話好きだった。

 ユタ大バスケットボールチームが五年ごとに開く同窓会の幹事もミサカ。二〇〇四年の会は、四四年に全米大学選手権(NCAA)で劇的な優勝を果たしてちょうど六十年後の三月二十八日を選んだ。かつてのチームメートはカリフォルニア州など各地に散らばる。ソルトレークシティーに住むアーニー・フェリン(80)は「遠くにいるみんなと会えるのは、ワットのおかげ」と感謝する。

 目立ちたがり屋ではない。物静かな性格。ボウリングとゴルフ仲間のジーン・サトウ(76)は「ゴルフもボウリングもとてもうまい。でも、自分から人に教えるタイプではない」と言う。初心者でも、みんなが楽しめるようなアイデアを出し、バックアップするのがミサカの常だ。

★家族守る信念

 広島県岩子島村(現尾道市向島町岩子島)から米国へ渡った父房一は、ミサカが十五歳の時に死亡した。理髪店を引き継いだ母タツヨと二人の弟を支えた。「自分は長男だから、家族を守らないといけない」という信念で生きてきたからこそ、さりげない気遣いを身に付けたのだろう。

 妻ケイティー(77)は「気を配ったり、世話を焼くのが好きな人だから」と、せわしく動き回る夫を温かく見守ってきた。

 ミサカには今、小さな悩みがある。米国内では今月、複数のボウリング組織が合併する。「その準備に追われているんだ。そろそろ引退したいんだけどね」。ソルトレークシティーボウリング協会理事として、そう話す顔はとても楽しそうだった。〈敬称略〉



8月19〜24日 世界バスケ1次リーグ広島開催