第4部 パイオニアC

2006.06.10
 ☆ジャパニーズ☆    自分と重ね 田臥ら応援 
 
2004年に日本人選手として初めてNBAデビューを果たした田臥(AP=共同)

 ワット(本名ワタル)・ミサカ(82)は、ティータイムに好んで緑茶を飲む。魚料理も好物だ。米ユタ州ソルトレークシティーで日本料理店を営む日本人とも仲が良い。「ジャパニーズ」という言葉には敏感に反応する。それでも、「日本は両親の出身地で、広島はお父さんとお母さんの故郷という印象でしかない」と言い張って生きてきた。

★近くて遠い国

 ユタ州オグデンで生まれ育った。広島県岩子島村(現尾道市向島町岩子島)から米国に渡った両親は、小さな理髪店を営んでいた。働きづめだった親たちから、日本の思い出を聞く機会はなかった。父房一は一九三六(昭和十一)年、母タツヨは五四(同二十九)年に死亡した。ミサカは米軍時代、終戦直後の半年間しか日本に滞在したことがない。「近くて遠い国」。それが長い間、抱いてきた思いなのだろう。

 二〇〇四年十一月、日本の代表的なプレーヤー田臥(たぶせ)勇太(25)が米プロバスケットボール、NBAフェニックス・サンズの開幕登録選手十二人に入り、4試合コートに立った。ミサカはこの時、日系人の自分を除けば初の日本人選手の登場に、「長い間、待っていたんだ」と喜んだ。田臥の身長は一七五センチ。約一七〇センチの自分と体格的にも近く、若いころに重ね合わせた。

 昨年十月、田臥は開幕直前に、その後契約したNBAロサンゼルス・クリッパーズから放出された。ニュースを聞いたミサカは「とても悔しい」と、顔をゆがめて舌打ちし、自分のことのように残念がった。

 ミサカの関心はバスケットに限らない。野球の大リーグで活躍する、シアトル・マリナーズのイチロー(32)やニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜(31)…。米国でプレーする日本人選手のチェックは欠かさない。

★うれしい驚き

 BAA(現NBA)のニューヨーク・ニッカーボッカーズ(愛称ニックス)で3試合の出場に終わってから約六十年。「もし、日系三世や四世の代になったら、日系人が米国で活躍できるかなと思っていた。でもその前に、日本から来た青年たちが成功しちゃった」と、うれしそうに驚く。

 妻ケイティー(77)の父親は福山市にゆかりがある。日本を旅行した九二年には岩子島にも渡り、夫の母タツヨの実家へ寄った。「その時に、一緒に行けばよかった」とミサカ。八十歳を過ぎた今、小さな後悔が心によぎる。

 一昨年、広島市に住む母方のいとこたちが、ユタ州を訪ねた。ミサカの両親の墓前で手を合わせ、涙を流すいとこの姿を見て思ったという。「自分は米国人として生きてきた。でも、体に流れている血は百パーセント『ジャパニーズ』なんだよ」。だから、日本から米国へ渡り、奮闘する若者たちを応援せずにはいられない。<敬称略>



8月19〜24日 世界バスケ1次リーグ広島開催