第4部 パイオニアD

2006.06.11
 ☆原点☆    時を超え挑戦者に勇気 
 
米ユタ州の自宅で、現役時代の栄光の記念品に囲まれるミサカ

  二万人の観客に囲まれて、鮮やかなライトがコートを照らし出す。現在、シーズン王者を決めるプレーオフ決勝(七回戦制)に入り、世界中から視線が注がれている米プロバスケットボールNBAは、米国内でも一、二を争う華やかなプロスポーツである。二〇〇四年にフェニックス・サンズで4試合出場し、アリーナの雰囲気を体感した田臥(たぶせ)勇太(25)は「夢。こんな日がずっと続けばいいなあ」と、舞い上がった。

★解雇は日常的

 日本人初のNBA選手となった田臥は、チームメートから、こう聞いた。「ユータの前に『ジャパニーズ・プレーヤー』がいたのを知ってる? ミサカと言うんだ。すごく昔なんだけど」。半世紀以上も前、日系二世のワット(本名ワタル)・ミサカ(82)が名前を残していたことに驚き、勇気づけられた。

 NBAは現在、三十チームで構成し、登録選手は各十二人。短期間での解雇は日常的だ。「生き残れるか、残れないか。でも、チャンスはある」と、田臥はいつも前向きにとらえる。別のプロリーグでプレーを磨き、NBAチームからの指名を待つ。選手獲得のため、シーズン前にチームが実施するトライアウトも一つの道である。

 ミサカと田臥は一度だけ、日本のテレビ番組の要請で、電話で言葉を交わした。ミサカは一九四七年、BAA(現NBA)のニューヨーク・ニッカーボッカーズ(愛称ニックス)でのプロ生活を3試合で終えた。田臥は何度はね返されてもNBAに挑み続けている。「成功を祈る」と、ミサカの言葉は短かった。厳しい世界だと知るからこそ、励ましは口にしない。

 ここ数年、本場の米国へ挑む日本人バスケット選手は増えた。山口・豊浦高出身の中川和之(24)は今年二月、米独立リーグ、アメリカン協会(ABA)のオールスターに日本人で初めて選ばれた。言葉に苦労し、生活も楽ではない。それでも挑戦する気持ちは衰えない。「NBAでプレーする」という目標があるからだ。

★「試合に招待」

 田臥は、あるプランを温めている。「自分がプレーするNBAの試合に、ワット(ミサカ)さんを招待したい」。NBA入りを目指すチャレンジは続く。「ワットさんのような先駆者がいて歴史が変わり、そして今、自分が夢にトライできている」と感謝の念をこめる。その言葉を伝え聞いたミサカは、ふっと表情を緩めた。「期待して待っているよ」

 五十九年前、BAA十一チームの中で、白人ではない選手は、日系二世のミサカただ一人だった。それが今、NBAは国籍も人種も越えて、しのぎを削り合うバスケットの最高峰リーグへと発展を遂げた。その原点に、ミサカがいた。

 今夏、バスケットの夢に挑む男たちが、誇りを懸けて戦う舞台が待っている。世界選手権が間もなく日本で始まる。<敬称略>

★「ワット・ミサカ物語」は今回でおわります。



8月19〜24日 世界バスケ1次リーグ広島開催