中国新聞

第2部 山里で

■ 5 ■ 主客転倒

 集落防衛「人がオリに」

「猪変(いへん)」
(03.1.25)


 山すそにぐるり、イノシシよけの電気さくが続いている。島根県 日原町の堤田集落。三十二ヘクタールの農地と五十八戸の家々すべ てが、約四キロの長いさくの内側にある。

 集落の三方を山が囲う。開けた西側には、JR山口線と高津川が 延び、イノシシの侵入をさえぎってくれる。獣害がひどくなる一方 だった一九九七年。集落ぐるみで県の補助金百三十万円をもらい、 電気さくを張った。

 ◇ ◇

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地図 城壁代わりに、集落の周りへ張り巡らせた電気さくを後退 で見回る住民(島根県日原町)

 「電線は、城壁みたいなもの。おかげで今は、安眠できる」。事 業の世話役を務めた林孝雄さん(71)は笑う。ほんの五年前まで、農 繁期には眠れない夜が続いたという。

 トタン板で田畑を囲うのは序の口。水田わきに掘っ立て小屋を建 て、寝ずの番をした住民もいた。収穫前は連日、夜通しでたき火を したり、空き缶を打ち鳴らし、姿を見せない敵を脅した。

 「臭いを嫌うから」と、古タイヤを燃やす人も現れた。黒煙と異 臭が辺りに広がり、隣近所のいさかいの火種になりかけた。

 あの手この手を尽くしていたある日、集落のど真ん中にイノシシ 親子が姿を見せた。家の庭先で、自家菜園のサツマイモまで食い荒 らされた。「一人ひとりが頑張っても、イノシシから見れば、すき だらけだったんですねえ」と林さん。

 農家の大半は、会社勤めの兼業農家。週末しか、田畑に出ない。 機械で耕せば、作業は早い。農地に人が姿を見せる時間が減った。 田んぼにすき込む下草や薪を刈りに、誰も裏山に入らない。獣が恐 れる人間の気配が、薄らいでいた。

 ◇ ◇

 「昔のやり方には戻れない。それでも、田畑をを守る方法を考え 合おう」。ひねり出した対策が、人間の方が「おり」の中に入る動 物園と裏返しの生活だった。

 電気さくには七千ボルトの高圧電流を流す。触れると、金づちで 殴られたほどの衝撃が走る。しかし、電線が切れたり、雑草が電線 に触れて電圧が下がると、効果がない。住民は交代で、五日ごとに 見回りを続ける。

 おかげで最近は、集落内に一頭も入らない。ところが、周りから 苦情が出始めた。「あんたの所のイノシシが、こっちに来よるで 」。急きょ、おり型の箱罠(わな)を三基買い、さくの外に仕掛け た。四年間で六十頭近く捕まえた。

 もっと意外な声が、内部から聞こえてきた。獣害が消えても、農 家の四分の一が「自分の代で農業をやめる」と集落アンケートで答 えたのだ。

 電気さくもどうやら、決め手ではないようだ。昨年夏、幼獣のウ リ坊が三、四頭、地面を掘り、電線のすき間から集落に忍び込ん だ。

 「若いもんと、集落の守りを固めんといけん」。電気さく管理の 責任者、斉藤真市さん(54)の関心は、さくの内側にも向き始めた。

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