中国新聞

第2部 山里で

■ 6 ■ 棚田転生

 牛を放牧 獣害消えた

「猪変(いへん)」
(03.1.27)


 水田がいったん荒れると、イノシシの格好のねぐらになる。山口 県日置町の山あいの奥畑地区も、十年ほど前まで荒れ放題だった。 町内の二農家が牛を放す試みが、風景を一変させた。

 ◇ ◇

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地図 元はカヤ原だった牛の放牧場。熊野さん(右端)が県外の 畜産農家に説明する

 友人の熊野菅人さん(65)を訪ねる途中、藤本通さん(71)は奥畑地 区を車で通りかかった。「イノシシがね、昼間なのに歩いとった 」。度肝を抜かれた。

 一帯は背丈ほどのカヤが伸び、二ヘクタールの棚田は見る影もな い。聞けば、六戸の農家すべてが高齢者。後継ぎもなく、耕作をや めていた。「田んぼを作ってもらえんか」。すがるような願いに、 「体が動くうちなら」と藤本さんは請け負った。

 話を聞いた熊野さんも加勢して、棚田のカヤを刈り、イノシシ対 策にトタン板で囲った。それでも、シカが囲いを飛び越えてきた。

 「田んぼはやめて、牛を飼うちゃどうかね」。熊野さんの思いつ きに、地権者も「荒らすより、まし」と賛成した。藤本さんは一九 九〇年、三頭の繁殖牛を買い入れた。言い出しっぺの熊野さんは人 工授精の資格を取り、農閑期に続けていた杜氏(とうじ)を辞め た。

 荒れ放題だった棚田は一年で、牧場に変わった。牛の親子六十頭 余りが、のんびり草をはむ。もう、獣害は心配ない。育てた牛は、 肉用牛として年間三十頭前後を出荷する。県内をはじめ、広島から 視察に来る畜産農家が増えてきた。

 「寂れていた古里がよみがえったようで、うれしい」。お盆や正 月に帰郷した後継ぎや家族たちが牧場を見に来る。町内で洋服店を 営む河瀬治さん(60)もその一人。父親の死後、二十六歳で実家を離 れた。

 ◇ ◇

 奥畑を出るまで、父親を手伝い、収穫期は夜通しで水田の見回り もした。父の口癖は「コオロギが鳴かん田んぼを探すんよ」。イノ シシが潜む田んぼは、おびえて虫も鳴かなくなる。

 「でもね」と河瀬さんは続ける。「被害に腹も立ったが、イノシ シがおらんようになったら困る、とも思った」

 猟は、農家の冬の楽しみだった。河瀬さんも亡父も、銃の免許を 持っていた。獲物の肉は、冬場の大事なタンパク源。イノシシと農 家は、「持ちつ持たれつ」の関係だった。

 イノシシは普通、ずうたいが自分より大きな牛を敬遠し、近寄ろ うとはしない。

 休耕田が生き返り、獣害も防げる牛の放牧は今、農家の注目の的 だ。ただ、農村の多くは、休耕田と現役の田畑とがまぜこぜの状 態。藤本さんも「休耕田をまとめるなど放牧地を広く取らないと、 牛の力を借りるのは難しい」と言う。

 どの田を残し、どの田に放牧牛を入れるか―。地域ぐるみの土地 利用が問われている。

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