中国新聞

第3部 欧州事情

■ 1 ■ ハイシート猟

 「国民の財産」待ち伏せ

「猪変(いへん)」
(03.2.17)


 月明かりにぼんやり、晩秋の森が浮かんでいる。「出てきた、あ そこ」。声を殺し、カメラマンが指す。森の端っこ。影がちぎれ た。双眼鏡でのぞくと、雄ジカが首を伸ばし、気配を探っていた。
地図

 ポーランド南東部の山岳地帯。スロバキア国境が近い。取材班の 二人は昨年十月下旬、英語で「ハイシート」と呼ぶ物見やぐらの上 の射撃小屋で一晩を過ごした。

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待ち伏せ猟に使うハイシート。ライフルを構えた森林官がガイドに付く(ポーランド南東部)

 地上五メートルの小屋は狭い。畳一枚ほどの仮眠棚と、打ちつけ のいす。いすの前方にだけ、窓がある。銃を置く射撃台だ。ライフ ルの代わりに望遠カメラを構えたが、イノシシは現れなかった。

 ◇ ◇

 「日本の森でもいつか、獣の捕獲や調査用に普及するかもしれま せん。経験しといて損はないですよ」。野生動物管理学が専攻の神 崎助教授の勧めだった。

 ハイシート猟は、餌や岩塩で獣をおびき寄せ、通り道で撃つ。安 全だし、狙い通りの獲物かどうか確かめられる。敵は睡魔。見張り 番を兼ねたガイドを伴い、寝て待つハンターが大半という。

 「VIP(要人)の小屋は特別仕様だよ。ブランデー付きのね 」。神崎助教授の共同研究者ペジャノスキー博士(50)がウインクし た。博士は、国境沿いのビエスチャディ国立公園の周辺にある国際 生態学研究所の支所長を務める。

 一帯にはかつて、共産圏の政治家たちが好んだ猟場があった。 「ブレジネフ(故人、旧ソ連の元書記長)はイノシシ猟にぞっこん でね」と博士。独裁で銃殺されたルーマニアのチャウシェスク元大 統領はクマ撃ちだったという。

 ◇ ◇

 社会主義体制の崩壊で、猟の客層は西欧に変わった。VIPはモ ナコ王妃やフランス大統領に。ドイツから来るハンターが特に増え た。ハイシート取材で道案内を頼んだ現地の森林官は、英語よりド イツ語がずっと得意だった。

 西欧人ハンターのお目当ては、シカの角やイノシシの牙。トロフ ィー(記念品)にする。狩猟権を含め、何十万円と高額をかけても 獲物を狙う。狩猟は今や、外貨獲得のための大事な産業なのだそう だ。

 ただ、撃ち放題ではない。猟をする地域や日時、狙う鳥獣の種別 を厳密に申請する。獲物は雌か雄か、何歳ぐらいの個体かを決めな いと、猟の許可が下りない。違反すれば赤点が付き、六回で免許を 取り上げられる。猟期中は原則、四十七種の鳥獣を誰もが撃てる日 本とは随分違う。

 「野生動物が誰のものなのか、考え方の大本が違うんです」。な ぞ解きのヒントを神崎助教授がくれた。「誰のものでもない」とみ る日本と違い、ポーランドでは「国民全体の財産」と考える。動物 のあるじは人間―。狩猟には、そんな気骨がこもっている。

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