中国新聞

第4部 合縁奇縁

■ 2 ■ 骨の声

 人と獣の歴史 刻む傷

「猪変(いへん)」
(03.3.18)


 山肌に口をぽっかり開けた、広島県神石町の帝釈観音堂洞窟(く つ)遺跡。洞穴の奥に入った約一万年前の縄文時代の地層から、イ ノシシだけで九十八頭分の骨が見つかった。食べた獣の骨は、シカ やオオカミ、タヌキなど計三十二種類に及んでいる。
地図

 「それでも、何千年も暮らしていた遺跡にしては、獣骨の量が少 ない。狩猟や採集で暮らしていた時代なのにね」。発掘に加わって きた広島大の中越利夫助手(50)=考古学=は、それだけ採集中心だ った証拠と踏む。

 「縄文人は、ドングリなどの木の実が主食。狩猟は二の次で、獣 の肉はごちそうだったんでしょう」。イノシシと人間は当時から、 好物の木の実を奪い合うライバル関係だった、とみる。

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Photo
岡山市の南方遺跡から、横一列に並んで出土したイノシシのあご骨=1994年10月(市埋蔵文化財センター提供)

 一万年前も昔から、獣と人の摩擦は始まっていた。大地に眠る獣 骨から、考古学者たちには、いろんな太古の声が聞こえてくるらし い。

 縄文遺跡からは、幼獣のウリ坊の骨は、ほとんど出土しない。 「イノシシはごちそうだけれど、縄文人の節度なのか、必要以上に 捕ったりしなかった」というのは、米子市出身の佐古和枝・関西外 国語大助教授(45)。「イノシシとは共存共栄、自然の恵みに生かさ れているという自覚があったんでしょう。祈るんです。ありがと う、またよろしく、って」

 大陸から稲作が伝わり、広まった弥生時代になると、祈りも集落 ぐるみの、組織的な儀礼に変わっていく。

 弥生中期の岡山市の南方遺跡からは、儀礼に使ったイノシシの下 あごの骨が相次いで見つかった。同じ向きに十二個、横一列に出土 した骨を見た興奮を、市埋蔵文化財センターの扇崎由さん(41)は覚 えている。

 奥あごに、どれも直径三cmほどの穴が開いていた。棒を穴に通 し、ぶら下げた跡のようだ。「南方は地域の拠点集落で、大掛かり な祭礼でイノシシをささげた可能性が高い」と扇崎さん。農耕儀礼 なのか、狩猟儀礼なのかは、謎のままだ。

 ◇ ◇

 「農耕が始まると、弥生人はいろんな欲が出始めたようですよ 」。鳥取県埋蔵文化財センターの北浦弘人さん(41)は、発掘中の青 谷上寺地遺跡を例に挙げた。

 不自然にひび割れたイノシシの肩やあごの骨が百二十点余り、青 谷上寺地遺跡から出土した。占いに使ったのだ。熱した棒を骨に押 し当て、割れ具合で吉凶を見た。「農作物の出来不出来、戦の勝ち 負け…。そりゃ、気になって仕方なかったんでしょう」

 日本社会は、自然の恵みを獣や鳥と分け合う採集生活から離れ、 田んぼや畑を開いて食べてゆく安定の道を選んだ。その決別が、イ ノシシと人間との付き合い方にも、最初の亀裂を入れたのかもしれ ない。

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