中国新聞

第5部 食らう

■ 1 ■ げなげな話

 科学のメス 夏肉も逸品に

「猪変(いへん)」
(03.4.23)


 「イノシシの肉は獣臭いし、硬いんじゃげな(硬いらしいよ)」

 「ほうよ。夏場は、猫またぎじゃげなね」

 広島や島根、山口の辺りでは、風評やうわさを「げなげな話」と いう。食べ物の品定めは、面白半分で独り歩きしやすい。猪肉にも 絡み付くげなげな話に、しまねの味開発指導センター(浜田市) は、科学のメスを入れた。

 ◇ ◇

 「腕利きがさばいた肉なら、臭くも硬くもない。おいしいのを一 度味わうと、がらっと印象が変わる」。三月までセンターの研究員 で、猪肉担当だった島根県職員の久家美奈さん(30)は言い切る。

 「においの元は、血液」という。獲物からすぐ血や内臓を抜き、 冷やさないと臭くなる。気温の高い夏は余計傷みやすい。一分一秒 の差が味を変えてしまう。熱心な猟師は、わなを仕掛ける時点か ら、獲物を運び下ろしやすい山すそや林道わきを選ぶ。

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駆除で捕まった夏場のイノシシの試食会。予想外のうまさ に、ハンターも驚いた(2002年8月、島根県邑智町)

 久家さんが、そんな猟師から猪肉を譲ってもらい、栄養などを分 析し始めたのは三年前の夏。生活習慣病の予防につながるタウリ ン、疲労を和らげるアンセリンの含有量は、牛や豚をはるかにしの いだ。うま味成分も、比べものにならないほど多い。「低カロリー の猪肉は、健康食ブームにもぴったり合う」と分かった。

 研究の成果を携え、久家さんは勇んで県内を回った。「猪肉は、 中山間地域の活性化にうってつけの食材」と勧めた。返ってきたの は、度し難い先入観だった。

 「そうは言うが、夏捕りの猪肉は食えたもんでないけんなぁ」。 講演を聴き終わっても住民たちは腕組みを解かず、まゆ根を寄せ た。

 科学のメスさえ、はね返そうとする心の壁。ここを突き崩さなけ れば、夏肉、つまり、冬場の猟期を避けて実施される有害駆除のイ ノシシの活用は進まない。

 ◇ ◇

 島根県内ではイノシシの駆除頭数の伸びが目覚ましい。一九六〇 年代は二ケタ台だったのが、二〇〇一年度は五千三百五十七頭。十 年前に比べても六倍、狩猟で捕れる頭数に並ぶまでに増えた。駆除 の獲物を捨てず、食材に回す―。それが研究の狙いだった。

 「百聞は一食に如(し)かず」と、センターは試食の場を設け た。猪肉の空揚げ、角煮、ハンバーグ、みそカツ、チャーシューな ど約二十種類の料理を振る舞う。

 夏肉の活用をめざす同県邑智町が開いた昨年夏の試食会。半信半 疑で、空揚げやハムをつまむ地元ハンターのはしが止まらない。 「たまげたのぉや。冬の猪肉でも、こんなに味は出せんで」「今ま では、猟犬にやるのが関の山。もったいないことをしたよの」

 わきでほくそ笑む久家さんは、もう一つの「壁」を見越してい た。家畜ではないイノシシには、食肉流通ルートが無いも同然なの だ。

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