中国新聞

第6部 人こそ天敵

■ 1 ■ 慣れっこ

 野生奪う餌付けの罪

「猪変(いへん)」
(03.5.29)


 所変われば品変わる、というのはイノシシの世界も同じらしい。

 広島県瀬戸田町の生口島には、目の前で鉄砲を向けても逃げなかった、ものぐさなイノシシの語り草が伝わる。

 二〇〇〇年十一月。「初猟の日じゃけぇ、よう覚えとる」。町内の会社役員村上真一さん(55)は友達と、近くの島へカモ撃ちに出ていた。昼前、妙な無線が入った。

 「猪(しし)がミカン畑に寝そべって、どうもならん。缶々たたいても起きゃせんのよ」

 「そんな猪がおるかいの」と冗談半分で聞き置き、二時間ほどして島に戻ると、まだいた。防風林の根元にうつぶせの二頭。百キロを超す大物だった。銃で狙っても逃げず、楽々、仕留めた。

 「猪が、野生をなくしとる。甘やかす人間のせいじゃ」。村上さんたち猟仲間は思い出話の度に、そう思う。

Photo
人を恐れず、餌をねだって近づく野生のイノシシたち(神戸・芦屋両市境の六甲山系)

 瀬戸内の島々から中国山地へと回った取材先でも、これほど人を怖がらない例は聞かないと思っていたら、似たイノシシが神戸市にいた。

 ◇ ◇

 六甲山系を背にした港町神戸。街角の生ごみや家庭菜園を目当てに、イノシシが夜な夜な、山から下りてくる。ひづめが滑って苦手なアスファルト路面をうろつき、出くわした住民の方も慌てず、自動車は道を譲る…。はた目には変てこな「共存」の風景が、なじんでしまっている。

 聞けば、神戸のイノシシが人ずれした発端は餌付けだという。山登り客や研究者が、弁当の残飯や餌でおびき寄せ、「人に近づきゃ食いっぱぐれないし、危害もない」と勘違いさせたらしい。人は自ら、天敵の座を下りたのである。

 餌付けの弊害については、中国新聞の紙面でも無自覚だったと反省しなければならない。

 本紙の記事データベースを検索すると、イノシシの餌付けや飼育の話題が幾つも出てくる。「家族の一員」「すくすく成長」「心が和む」など、ほほ笑ましい言葉が記事を彩る。当然、記者にためらいはない。昨年春の紙面で初めて、餌をやる人を匿名にする気遣いを見せている。

 ◇ ◇

 「でもねぇ、餌付けはむげに全否定できないんですよ」。宮島(広島県宮島町)のシカや広島市北部のサルを研究している広島県立大非常勤講師、林勝治さん(64)=広島市佐伯区=は「日本人の心根深くにしみ込んでいる、施しの気持ち」が餌付けの心情と結び付いている、と言う。

 肉親を失ってからシカに餌をやりだした人、神社のほこらに並ぶミカン。そんな風景を見続け、「節度ある量の餌なら許してあげたい」と寛容な林さんにも、見過ごせない問題がある。

 人は餌付けとは思いもせず、野生動物にすれば立派なごちそうが並ぶ、無防備な田畑である。

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