中国新聞

第6部 人こそ天敵

■ 3 ■ しっぺ返し

 里山乱す都市の食欲

「猪変(いへん)」
(03.5.31)


 コシヒカリの流行が、イノシシを里に引き寄せた一因という、意外な説がある。
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 米どころの島根県仁多町、岩田一郎町長(77)も仮説にうなずく一人。「昔は十月一日が収穫祭のピーク。早稲(わせ)のコシヒカリが流行して、近ごろは刈り入れが八月下旬だよ。ドングリが落ちる前に稲が実るから、イノシシが山から下りてくる」

 ドングリは、イノシシの食い気を満たす大好物。杉やヒノキなどの植林が戦後はやり、木の実は山からめっきり減った。遅まきながら、仁多町は一九八五年から針葉樹の造林をやめ、クヌギを植えている。

 中国五県の米作付面積(二〇〇二年)を銘柄別にみると、コシヒカリの比率が島根は82%で、二位鳥取の56%を引き離して断然トップ。風土から晩稲(おくて)品種の多い山陽側の広島や山口は30%台、岡山は15%しかない。

Photo
早稲のコシヒカリが多い島根県内は、里帰り家族もいる5月の連休が田植え最盛期(大田市)

 「仁多米」を銘柄米に押し上げた立役者のコシヒカリを、捨てるわけにはいかなかった。「都会地の消費者の食欲には、誰も逆らえない。従うしかないもの」と、岩田町長は淡々と言う。

 ◇ ◇

 林野庁が〇二年度から全国で繁茂の実態を調べ始めた竹林も、やはりイノシシの餌場を広げてきた。春には大好物のタケノコが生えるからだ。

 高度経済成長とともに、竹編みのかごやざるはプラスチック製品に市場を奪われ、タケノコも輸入物が増えた。材価の低迷で山は荒れ、減反・転作で耕作条件の悪い山際から田畑の放棄が進む一方。伸び放題、無人の竹林の根元にむしゃぶりつくイノシシは勢い、里に近づいてくる。

 広がり続けるイノシシたちの版図。それは、人間界の欲のしっぺ返しでもある。

 ◇ ◇

 韓国国境が近い、長崎県の離島対馬。ここに、しっぺ返しの典型がある。江戸時代の対馬藩は九年かけ、約七百平方キロメートルの島内にいた八万頭余りのイノシシを一頭残らず滅ぼした。延べ二十三万人近い島民を駆り出した藩奉行の一人が、陶山訥庵(すやまとつあん、一六五七~一七三二年)である。

 訥庵の研究者で同県諫早市に住む農学博士、月川雅夫さん(75)は「後日談をぜひ、知っておくといい」と勧める。

 獣害の不安が消え、島民は伝統農業の木庭(こば=焼き畑)開きに熱を上げた。イノシシよけの垣根になる材を育ててきた里山まで開き、土砂崩れや水害が起きた。むやみな開発で、自然のバランスが崩れたのだ。訥庵は後に、木庭停止論を唱える。

 「イノシシは山の神。あれで、森の生態系が健康かどうか、教えてくれるシンボルなんですよ」と月川さんは諭す。

 江戸開幕から四百年。大都市の東京でも、獣害対策に小さな実験が始まった。

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