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「神宿る みやじまの素顔」    17.一日参り
月初め 「福と徳」もらう

一つとして同じ表情のない五百羅漢。一段、一段、参拝客の足元を見守っているように見えた

 午前五時半すぎ、参拝客七十人を乗せた月に一便の臨時フェリーが、朝もやのかかる大野瀬戸を滑るように進む。船室の明かりがまぶしい。「やあ、お元気でしたかな」。顔なじみになった常連の会話が弾む。

 島はまだ闇に沈んでいる。静寂に包まれ、厳島神社で深々とお辞儀したり、大願寺に立ち寄り念仏を唱えたり。その多くが、弥山のふもとにある真言宗大聖院の本坊へ向かう。

 「先月も無事にすごせたと報告せんと、落ち着かん」。建設会社を経営する広島市安佐南区長束の森本博さん(69)は参拝を終え、安堵(あんど)の表情を見せる。子どものころから両親に連れられ、弥山の三鬼堂に詣でてきた。「前の晩から大勢が千畳閣で雑魚寝して、一日の朝を待ったもんよ」

 月初めに詣でる「一日(ついたち)参り」。いつから始まったのかは定かでない。弘法大師が開山した千二百年前から大聖院を守る神、三鬼大権現の縁日に由来するといわれる。「功徳日」とされ、「一日にお参りすると大きな徳がいただける」と信じられてきた。

 「福徳、知恵、幸福」を備えた大権現にあやかり、商売繁盛を願う商売人や営業職の会社員も多い。一九九一年の台風19号で弥山本堂は倒壊し、三鬼堂も被害を受けた。それ以降、ふもとの本坊に詣でるようになった。

 西区三篠北町の大芝小三年増本司君(9)は、五年前から島に通う。「おじいちゃんと船に乗るのが楽しい。テストで百点取れるようにお願いしている」と楽しそうに石段を駆け上がる。祖父功さん(69)は「幼いころは足が遅くて心配したが、今では私より速いんですよ」と、成長した孫の姿を頼もしそうに見やる。

 チャリン、チャリーン…。大聖院の御成門に向かう石の階段に、さい銭の奏でる音が響く。傍らには、熱心な信者が奉納した五百羅漢。「また一カ月頑張りんさいよ」。参拝客を励ますように、一段ごとに整然と並ぶ。

−2006.2.26

(文・梨本嘉也 写真・田中慎二)


三鬼堂 正式な名前は三鬼大権現。もとは御山神社のことを指していたが、明治時代の神仏分離政策で現在の場所に安置された。毎日、家内安全と商売繁盛の祈願が行われている。台風19号で大きな被害を受けたが、大聖院は開山1200年記念事業の一つとして、今年5月から昔ながらの「おこもり」ができるように整備を進めている。 地図


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