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「神宿る みやじまの素顔」    19.檜皮の物語
苦難を越えて希望の章

背後の弥山の森と一体となり、神秘的な厳島神社の檜皮ぶきの屋根。島内での材料調達が実現しつつある

 雨の日の厳島神社。社殿を見上げると、しっとりとぬれた屋根の檜皮(ひわだ)は、はっとするほど美しかった。ふき替えを繰り返してきたとはいえ、何百年の時空をくぐり抜けたかのような、黒く重厚な質感―。

 このふき替えのサイクルに、異変が生じているという。三十年―四十年とされてきたが、少しずつ短くなっている。「今はだいたい二十五年。酸性雨の影響かもしれない…」。神社工務所の職員は説明する。

 台風も追い打ちをかける。一九九一年、九九年、二〇〇四年…。たびたび襲来する大型台風は、ふき替えの終わった屋根を容赦なく吹き飛ばす。左楽房を倒し、平舞台を大破させた二年前の台風では、屋根全体の約三割が傷ついた。

 神社の檜皮は、屋根ふきの専門業者六社が持ち寄ってくる。兵庫県など島外産ばかりだ。採取に適した高齢の木が激減し、全国の伝統社寺で屋根材の不足が指摘されて久しい。「宮島の檜皮は宮島で」―。それが関係者の思いだった。

 その悲願をかなえ、檜皮不足の危機を救いつつあるヒノキの森がある。島の東部の杉之浦。世紀の変わり目の一九〇〇年、島民が植樹した。

 旧陸軍の砲台も築かれ、神の島を聖域とする意識が薄れた明治期。建材用だった人工林は大正時代に保安林に指定され、手つかずのまま国有林として残った。

 樹齢百年余り。高さ二十メートル以上。日が当たりすぎない北斜面…。檜皮の採取に絶好の条件がそろった「奇跡の森」で、本格的な檜皮採取が一昨年秋から始まった。

 村岡伸康さん(26)は、「檜皮の里」として知られる兵庫県丹波市山南町の若き職人だ。檜皮採取の専門技術者「原皮師(もとかわし)」を目指して八年。二月中旬、若い見習い六人を連れて杉之浦の森に入った。すらりと天をつくヒノキにロープで登り、粘りのある皮をヘラではぐ。

 最初にはいだ「荒皮」は厳島神社のような国宝級にはまだ使わない。八―十年後に再生した「黒皮」こそが上質の檜皮になる。「その時が本当に楽しみ」。村岡さんはいとおしそうに樹皮に手をやった。

−2006.3.12

(文・岩崎誠 写真・藤井康正)


世界文化遺産貢献の森林 近畿中国森林管理局が廿日市市宮島町の国有林全体を、木の文化を守る「世界文化遺産貢献の森林」に指定し、うち樹齢106年のヒノキ約4000本が育つ杉之浦の約7ヘクタールで檜皮採取を認めている。専門業者などでつくる全国社寺等屋根工事技術保存会と協定を結び、2004―05年度に計3000トンを採取し、全国の社寺などに使う。国有林からの檜皮採取は、宮島から生まれ、林野庁が全国で採用したアイデア。 地図


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