TOPNEXTBACK


「神宿る みやじまの素顔」    3.大鳥居
巨木の迫力 旅人を魅了

秋の暮れの大鳥居。静かで美しく、恐れを感じさせた

 潮の引いた砂州で秋空を仰ぐ。日を浴びた大鳥居は朱がまぶしい。「格好がええでしょう、棟木の反り具合とか」。誇らしげな島民の言葉をかみしめる。

 島が最も鮮やかに染まる季節。今日も大勢が集う。名所への旅が大衆化したのは江戸中期以降。多様な景観を描いた「厳島絵図」も刷られた。寺社詣でに、物見遊山に、さぞかし旅心をかきたてたことだろう。

 その一つ「厳島大鳥居之図」は各部の寸法を記した絵。主柱の根元では、大きさを実感したいのだろうか、旅の男が腕を広げている。版本「芸州厳島図会」にもやはり似た光景がある。

 絵図をまねて、主柱に抱きついてみた。大きい―。うねるようにそびえ、力強く棟木を支える。

 鳥居は一一六八(仁安三)年の記録に見える。それを初代とすれば、建立百三十年を迎える現在の鳥居は八代目となる。雷や大風による倒壊と再建を繰り返してきた。四十六年間、鳥居のない時期もあったという。

 漢詩人菅茶山は一七八八(天明八)年の厳島訪問を「遊芸日記」に記す。「華表旧(も)と江中に在り、往年雷震焚蕩(ふんとう)し、仍(な)お未(いま)だ修建せず」。雷で焼け、再建されていない鳥居(華表)。ぼうぜんと海を眺めたのだろうか。同時期の別の記録は、代わりに二本の竹にしめ縄が張ってあったと伝える。

 主柱は樹齢五、六百年のクスノキ。巨木が見つからず、再建が難航した記録もある。七代目、八代目の主柱は南紀や九州にまで材を求めた。

 将来の大鳥居に―。クスノキの植樹と育成を、島民たちの宮島千年委員会が進める。「私らは見られんが、十代目ごろには島の木で建ててほしいねえ」と星出篤美代表(71)。島にある包ケ浦地区の森で苗がゆっくり根を広げている。

 秋の日は早い。名勝を満喫した観光客が桟橋へ向かっている。ふと振り返る。夕焼けに大鳥居のシルエット。何とも神々しい。しばし、たたずむ。

−2005.11.20

(文・田原直樹 写真・藤井康正)


大鳥居 現在の8代目は、1875(明治8)年の建立。全高約16.8メートル、棟木の長さ約24.2メートル、重量約60トン。自らの重みで海中に立っている。袖柱4本を持つ「両部(りょうぶ)鳥居」。主柱のクスノキは香川県と宮崎県で、袖柱の杉は島内で調達している。初めて絵画に現れるのは国宝「一遍上人絵伝」(1299年)。袖柱のない、素朴な形に描かれている。 地図


TOPNEXTBACK