厳島神社の大鳥居沖約百メートルに広がる干潟が、柔らかな春の日差しを受けてキラキラと輝く。家族連れ、中年夫婦、子どもたち…。波打ち際まで連なるように、黙々とアサリを掘ってはバケツに入れる。
四月三日の桃の節句ごろの「節句じお」、厳島神社で十六日から三日間舞われる神能(じんのう)あたりの「能(のう)じお」…。アサリの実が太り、大きく潮が引く時季、島の人たちは、こぞって浜に繰り出した。
砂を出し、生のまま殻を開けてむき身にする。からし酢みそであえたり、かき揚げにしたり。煮物のだしを取る家庭もある。「甘くて大きな粒。プリッとしとる。よそのとは比べものにならん」。弥山原始林にはぐくまれて海に流れ込む「神の水」のおかげ、とありがたがる。
「貝掘りの名人」と呼ばれる無職吉村重美さん(70)に出会った。「わしが浜に出たのは十歳から。戦時中は自由に掘れんでねえ」と振り返る。食糧不足による乱獲から守ろうと、町内で当番を決め、掘った貝を買い取り、各戸に配った。
「梅雨の貝はおいしゅうない」。古老たちは口をそろえる。貝を掘るのは五月いっぱい。梅雨に産卵し、身がやせることを経験から知っていたのか。それとも、採り尽くさないための知恵なのか。
一九六〇年代に入ると、島外からの潮干狩り客が増え、干潟から人の姿が絶えることはなくなった。町は持ち帰りを制限してきたが、十数年前、急に少なくなった。少しでも島がにぎわえばと、稚貝の放流を続けているが、大きくなる前に採られてしまい、なかなか追い付かない。
吉村さんが浜に出るのは、干潮をはさんだ二時間くらい。三センチ以下の小さな貝には見向きもしない。「欲を出すとおらんようになるけえな」。バケツもほどほどに帰る。その背中に、自然への慈しみを感じた。 −2006.4.9
(文・梨本嘉也 写真・田中慎二)
宮島のアサリ 広島湾では6、7月と10、11月の2回産卵する。食糧不足だった戦時中から戦後まもなくにかけて、貴重な栄養源だった。うま味が逃げないよう、生のままむき身にして使う。煮汁とワケギを合わせてからし酢みそにあえる「つんつん(なます)」が代表的。産卵に向けて身が太る9月には、お月見料理として、ダンゴとサトイモの輪切りなどを入れて白みそで味付けした「だんご汁」を各家庭で作った。
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