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「神宿る みやじまの素顔」    24.桜
時代超えて思い出満開

多宝塔や神社の朱と、淡い花色が島を明るく染めていた(7日)

 弁当や飲み物を詰め込んだかばんに、ビニールシート。両手に荷物を抱えていても、フェリーの家族連れは笑みを浮かべて到着を待つ。花の時季、神の島は人を一層浮き立たせていざなう。

 香(におい)桜、浅葱(あさぎ)桜、桜川、時雨桜…。「芸州厳島図会」「厳島道芝記」など江戸時代の書物は当時知られた名木奇木、名所を記す。樹の下で、三味線の音を楽しみ、酒を酌み交わす人々の図もある。鳥居松の項には「弥生の頃(ころ)は花さきにほひて、韻人騒客帰ることを忘れしむる處(ところ)なり」とあった。

 桜の多い大元神社あたりは「大元桜花」として厳島八景に選ばれ、多くの詩歌にうたわれた。宮島の桜は広く知られ、今も愛され続けている。

 その名に引かれ、多宝塔に近い「桃林(もんばやし)」を訪れた。幹の傷んだ老桜がそれでも大きく枝を広げている。いっぱいの花に埋まり、ひっそりとした一隅。枝間に朱の五重塔がのぞく。どれくらい、時が過ぎただろうか。うぐいすが鳴いた。

 「友達と光明院や紅葉谷へ行ったもの。五十年以上も前の小学生時代よ」。元町職員坂田幸一さん(64)は懐かしむ。島の節句の四月三日、家族や子ども同士で花見を楽しむ習わしがあった。「卵焼きに巻きずし。この時だけはごちそうを詰めてもらってね。わくわくして出掛けたよ」

 古い弁当箱が宮島歴史民俗資料館に並んでいた。蒔絵(まきえ)を施し、木彫を凝らした重箱がある。さんざめく花見の宴が浮かぶようだ。

 多々良へ足を延ばし、百年近く前のこけむした碑の前に立った。

 「さくら 四万二千本 もみち 四千本 明治四十二年三月植栽 廣島小林區署(しょうりんくしょ)」

 桜や紅葉を大切にした島民の思いがしのばれる。現在、市街地周辺の桜は二千二百本余り。熱心に木々の健康調査を続ける人々がおり、心強い。

 日暮れた帰り道。花見客の姿はすでになく、宵闇で、桜は冷めた白色を帯びていた。昼間とは違う表情で、ひらひらと花を落としている。ぞくっとする美しさだった。

−2006.4.16

(文・田原直樹 写真・藤井康正)


宮島の桜 自生種ヤマザクラのほかソメイヨシノ、エドヒガン、シダレザクラなどがある。昨年から今年にかけて、宮島町並みを考える会の前会長井上軍さん(64)や宮島地区パークボランティア、広島大付属宮島自然植物実験所の向井誠二技官が市街地などの桜を健康調査し、2254本を確認した。生育環境の改善へ、広島県や廿日市市に対策を求める考え。 地図


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