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「神宿る みやじまの素顔」    25.神能
満ちる潮 舞台装置の妙

神能が演じられる国重文の能舞台(右端)と特設の桟敷席。自然の舞台装置である潮が少しずつ満ちていく

 早朝から、特設の桟敷席には熱心なファンが陣取っていた。桜が散るころ、厳島神社の能舞台で奉納される「神能(じんのう)」。心得た人たちは思わぬ風の冷たさに備え、ひざかけやジャンパーの用意を忘れない。案の定、日が陰ると寒さに身が縮んだ。

 初日は、古来神聖とされる「翁」から始まり、能を五番、合間に狂言を四番。屋根の檜皮(ひわだ)からは、前日の雨の水分が白い霧となってたなびく。

 昼前には潮が満ちて舞台を少しずつ囲み始めた。海水を下に抱く床板は、太鼓のように共鳴し、足拍子のたびに大きく響く。

 海に浮かぶ能舞台は全国に一つしかない。「自然と一体となった、最も古い能のかたちが残っている」。駆けつけた広島大総合科学部の古東哲明教授(55)は、あらためて驚きの声を上げた。

 哲学を研究する傍ら、能の世界に造詣の深い古東さんは、厳島神社の能舞台の設計に特別な意味を読み解く。

 能の主役・シテは、大半が亡霊だ。「他界」を象徴する海側に突き出した舞台に向き合い、観客は本殿の側から目をこらす。幽玄の死者が繰り広げる生老病死の悲喜劇を、「神さま」の視座で受け止め、人生の意味を考える―。神の島ならではの、舞台装置の妙だという。

 日本の能は五年前に世界無形文化遺産となった。世界文化遺産の厳島神社での奉納は、いわば二つの世界遺産が出会う場でもある。各地から名うての能役者がはせ参じる。

 東京に拠点を置く喜多流・粟谷家。その祖先は、広島藩主浅野家のお抱え能楽師だったという。明治になって居を構えていた宮島から上京し、喜多流宗家に師事した。それから三代目となる粟谷明生さん(50)は今年、中国を舞台にした「枕慈童(まくらじどう)」で、シテを演じた。

 「あまたの災害を乗り越えてきた神の島。自然の光のエネルギーを感じる」。伝統文化を担う能役者たちも年に一度、宮島で芸の原点と向き合い、明日への糧としている。

−2006.4.23

(文・岩崎誠 写真・田中慎二)


厳島神社と能 宮島町史によると最も古い演能の記録は1568年。厳島合戦に勝利した毛利元就が京から招いたとされる。海に浮かぶ能舞台は1605年に建立され、浅野家四代藩主の綱長が1680年、現存する国重要文化財の能舞台、楽屋、橋掛を造営した。1991年に台風で倒壊したが復旧。神能は江戸時代には年中行事化し、明治末から「桃花祭神能」として4月16日から3日間、喜多流と観世流が奉納する。神社には桃山時代からの170の能装束と130の能面が伝わり、指定文化財以外は神能で使う。 地図


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