穏やかな養父崎(やぶさき)浦に、小さな筏(いかだ)が浮かんでいる。米粉を海水で練った粢(しとぎ)団子六つが献じてある。距離を置いて、船上から見守る神職たち。笛で楽を奏し、神鴉(ごがらす)と呼ばれるカラスの飛来をじっと待つ。
安芸の宮島廻(まわ)れば七里、浦は七浦、七えびす―。古くから謡われる厳島神社の末社七つを巡拝する御島廻(おしままわり)式。その途中、神秘的な「御鳥喰(おとぐい)式」はある。
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団子を載せた筏に飛来したカラス
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養父崎神社の沖に粢を浮かべると、雌雄一対の神鴉が団子をくわえて去る、という。厳島大神が鎮座地を求めて島を巡った際、神鴉が先導したとされる伝説にちなんだ神事だ。春秋の七浦神社祭と、五月十五日には信仰の厚い厳島講社員のために執り行われる。
穢(けが)れを嫌うという神鴉。現れないと「鳥喰が上がらない」として、よくない兆しともされた。御師(おし)と呼ばれる神職や参加者には精進潔斎(けっさい)が求められる。ここ五年、五月の御鳥喰式に神鴉は現れず、神の島には緊張したムードが漂っていた。
「潔斎をしっかりと」。御師を務める野坂元明権宮司に念押しされ、取材が許された。前日から酒や肉類、ネギなど臭みのある野菜を断って、神事に臨んだ。
「出られるか出られんか、こればっかりはどうしようもない」。御島廻りが約二十回を数える島民の柴田博さん(76)が言う。講社員用のフェリーには地元や東京、九州などから二百人以上が乗船していた。中高年に交じり子供や若者の姿も目立ち、みな、一心に海面を見つめる。
四十分ほどが過ぎた。「今年もだめか」「どうなさったんかねえ」。船上にそんなささやきと嘆息がもれ始める。
その時、海面をかすめる黒い影が現れた。筏に止まったのは一羽のカラス。団子を一つくわえると、すっと島へと飛び去った。
歓声と拍手が海上に響く。「みなの心掛けがよかったんよ。感無量だね」と柴田さん。神鴉が現れたのは一度きり。だが、御島廻りは笑みとともに進んだ。なにより、神職たちの顔に安堵があった。 −2006.5.21
(文・田原直樹 写真・田中慎二)
御鳥喰 戦国時代の神官棚守房顕の「覚書」に記述があり、それ以前からあると分かる。御島廻式は杉之浦、鷹巣浦、腰少(こしぼそ)浦、青海苔(あおのり)浦、山白浜、須屋浦、御床の七神社を巡拝。御鳥喰式は、青海苔浦神社と山白浜神社の間に鎮座する養父崎神社の沖100―300メートルの海上で行われる。
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