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「神宿る みやじまの素顔」    32.シダ
種の宝庫 かご材料にも

ウラジロの若葉に見とれる松村さん。風が吹くと、耳が痛いほど波打った

 くるっと柔らかく丸まっていたコシダの若葉が、あちこちでほころび始めた。「青々しとるでしょう。今が一番きれいなんよ」。日本シダの会会員の松村雅文さん(78)=広島市西区=は、山肌を鮮やかな緑に染めるウラジロに囲まれ、うっとりとつぶやく。

 幅広い植物相が見られる宮島は、瀬戸内海で有数のシダの宝庫だ。エダウチホングウシダやヒメミゾシダのように、広島県のレッドデータブックで絶滅危惧(きぐ)種などに選定されるものも少なくない。

 二十七年ほど前、「広島では宮島だけに分布する」とされながら生息地が不明だったアオガネシダを発見し、島での観察にのめり込んだ。専門家によって一九七五年に確認された八十四種の増減を、山に分け入っては調べている。

 島の南側斜面を緑に染めるコシダ。このシダを編んだ特産の「しだかご」は、明治半ばから昭和三十年代ごろまで、島だけでなく対岸の大野の人々の生活も支えた。

 「こたつの炭を運んだ」「ネズミに食べられないように食べ物を入れて天井からつるした」…。島では、プラスチック製品が取って代わる昭和四十年代まで各家庭の暮らしに溶け込んでいた。

 国有林から許可を得て刈り出し、島や大野で編む分業が発達した。大野町誌によると、大野では問屋が相次ぎ開業し、海外にも輸出。全盛期の大正十年ごろには「農家の最良の副業」として四国や三重県などに職人が講師に招かれるほど注目されたという。

 宮島歴史民俗資料館には、大小のかごが二十点ほど残る。数本組み合わせて編み込んで優美な模様を描いたり、すき間なく重ねて強度を増したり…。神の島の恵みで各地の農民の命をつないだ先人の知恵と技が息づく。

 「誰も足を踏み入れていない場所がたくさんあるんよ。未発見の種が見つかるかもしれんね」。背丈を超えるシダの若葉をかき分けながら山肌を登る松村さん。ふーっと息をつき、すがすがしく夢を語る。

−2006.6.11

(文・梨本嘉也 写真・藤井康正)


宮島のシダ 1924(大正13)年、ヒメイタチシダが島のシダで最初に新種として記載された。日当たりのよい南斜面でコシダが、適度な日照と湿気を好むウラジロが北斜面を占める。島の産物を研究した「島のかをり」(1930年)は「明治廿八年本島岩村平助と云ふ者伊豫職工渡邊惣吉なる者を呼寄せ是れを調製せしめ…」と、しだかご細工の起源を記している。 地図


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