水面を囲む朱の回廊。木やり歌とともに、「御用」提灯(ちょうちん)を掲げたこぎ船が現れた。櫂(かい)や櫓(ろ)が巧みに操られ、船は回転を始める。見物客の歓声と拍手が高まると、船は勢いを増して三度回った。夏の夜更け、管絃祭はクライマックスを迎える。
旧暦六月十七日の夕刻、祭りは始まる。提灯やのぼりで飾られた御座船に、祭神を移した御鳳輦(ごほうれん)を据え、神職たちが乗船。こぎ船に引かれて大野瀬戸を往還する。平清盛が都の遊宴を厳島に移し、神を慰めたことに始まる神事だ。
「若いころは櫓を押したが、もうきついね」。呉市の阿賀漁協理事、小倉元良さん(61)は笑う。こぎ船は阿賀の二隻と江波漕伝馬(こぎてんま)保存会(広島市中区)の一隻の計三隻。元禄十四(一七〇一)年、転覆しかけた御座船を両地区の船が助けた。以来、その大役を担う。「宮に参り、ぴしっと務める。わしらの昔からの決まりごとよね」
瀬戸内に暮らす人々にとっても大切な祭り。宮へ奉仕する栄誉にあずかる機会でもある。
御洲堀(おすぼり)―。大鳥居から神社へ向かう船の道筋を、対岸の住民が整える習わしだ。「二十年以上奉仕させてもらっとる。ありがたいよ」。数日前、鳥越範夫さん(86)=広島市西区=をはじめ、丁寧に泥をかく人々の姿があった。
祭りにあわせ夏市も立つ。四国など瀬戸内各地から大漁や安全を願う漁船が来島。三十年前までは千隻を超え、浜を埋めた。露店のほか芝居や見せ物小屋が立ち並び、にぎわった。今では面影もないが、尾道市因島の漁業箱崎昭好さん(72)は今年も漁船を三時間走らせて来た。「年に一度、宮島さんのおかげをもらわんと、漁がようないからね」。多くの人が願いを託し、支えて続いている。
地御前、長浜、大元の各神社を巡り、戻った御座船。こぎ船に続いて回転を始めた。舳先(へさき)のかがり火が揺れ、雅楽の調べが厳かに響き渡った。
日付が変わるころ、参拝者の姿は消えて、神社はようやく静けさを取り戻す。祭りの余韻に浸りつつ、潮の音響く回廊に眠った。 −2006.7.16
(文・田原直樹 写真・藤井康正)
管絃祭 日本三大船神事の一つ。倭琴(わごん)をはじめとする三絃、笙(しょう)などの三管、三鼓を奏し、祭神を慰撫(いぶ)する。3隻の和船を組み、屋形を設けた御座船で往還する。当初、こぎ船はなかったが、元禄の遭難以降はつけた。明治時代に入って、祭神の分霊を移した御鳳輦を船に載せ始め、海上渡御の形式になった。
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