じっとりとした空気が身を包んでいる。雲が垂れ込めて、朝の弥山道は薄暗かった。霧雨に原始林が息づき、巨岩や倒木にむしたコケがみずみずしい。聞こえるのは紅葉谷川のせせらぎとせみ時雨だけだ。
山頂までゆっくり歩いて二時間半ほど。山歩きに慣れない身には少々きつい。噴き出してくる汗をぬぐい、黙々と足を運ぶ。その時、視界の隅を鮮やかな色がよぎった。
岩陰の、枯れ葉の上に、黄色いキノコ。ふんわりしたマントをまとっている。網目が自然の神秘を感じさせる。ウスキキヌガサタケ―。宮島をはじめ西日本のごく限られた地域にだけ自生する。梅雨時期や夏の朝、弥山道を行く人には、運がよければ、思いがけない出会いがある。
「美しい姿と色つやは特別な存在。この山に人の手が入っていない証しでしょう」。弥山歩きを楽しむ廿日市市福面の藤江正之さん(69)は話す。登頂千三百回を数えるが、「こんな出会いもあるから何度歩いても飽きないんです」。
高さ十センチほどの愛らしいたたずまい。徳永誓雄さん(72)=同市宮島口=によると「これは小ぶりだよ」。徳永さんは登頂四千回余りという、弥山歩きの達人。この夏だけで、ウスキキヌガサタケを十回は見つけている。「毎日登ってごらん、きっと立派なのと出くわすから」
幸運な出会いを喜び、しばし眺めた。森の妖精を思わせる姿。足元を照らす灯のようでもある。今も昔も、参拝者を和ませ、励ましてくれる。心持ち体が軽くなったようで、立ち上がり、再び歩を進めた。
帰り道。マントはしおれていた。やがて溶けるように消えるという。「信心が厚いわけじゃないが、弥山には神秘的なものがある。登るたびにいろんなことを感じさせてくれる」。徳永さんの言葉には弥山への愛着と畏敬(いけい)の念があった。
珍しいキノコのほかにも、動植物との出会いや四季折々の姿があり、一日として同じ表情はない。一期一会の山歩き。また登ろう―。 −2006.7.23
(文・田原直樹 写真・田中慎二)
ウスキキヌガサタケ 日本固有のキノコ。高さ15―18センチになる。かさの下から黄色いマント状の菌網を伸ばす。マント部分が白く「キノコの女王」と称されるキヌガサタケの仲間。環境庁、広島県それぞれのレッドデータブックで絶滅危惧(きぐ)U類に指定されている。広島県内では宮島のほか広島市、竹原市、三原市などで見られる。
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