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「神宿る みやじまの素顔」    48.たのもさん
農作物への謝意 海渡る

御笠浜を出帆するたのも船。鳥居に近づくと、歓声や悲鳴が上がった

 暗い水面を小さな舟が行く。ゆらり、ゆらり。浜を離れ、大鳥居の方へ。灯明を抱いた舟影が美しい。  旧暦八月一日、八朔(はっさく)の夜。島の人たちは農作物への感謝を込めて、手製の「たのも船」を流す。

 「農作物や農家の人にささげた島民の気持ち。それを対岸の人が拾って豊作につなげる。そういう祭りだったんよ」。南町で土産物店を営む蔦谷慶三さん(67)に聞いた。

 明治初期まで耕作が禁じられた島。島外に頼った農作物への感謝を、たのも船に託した。対岸に着いた舟を田のあぜに置くと、豊作になるといった。

 夕刻、四宮神社がある紅葉谷の小道に舟が集まってきた。両手で抱えるほどのものから手のひらサイズまで、三十数隻が並んだ。精巧な和船や牛乳パックで工作した小舟など多彩。米粉で作った人形を家族の数だけ載せる。五穀豊穣(ほうじょう)、家内安全、商売繁盛…。帆やのぼりには願い事が書いてある。

 「娘に子どもが生まれてね」。宮大工の速見征夫さん(67)は孫の名を付けた舟を抱えて現れた。管絃祭の御座船を模して作った見事な舟に、人だかりができる。午後八時、神職が舟のおはらいを始めると、子どもらも自分の舟の前で頭を垂れる。「食べ物に困らん時代だが、たのもさんの心は大事にしっかり伝えにゃならん」

 以前、たのも船は百隻を超えた。縁起物を手に入れようと、対岸の農民は船に乗り、沖合で待ち受けた。子どもらは舟が拾い上げられるのを防ごうと石を投げる。船上の人は鍋や釜をかぶって舟に手を伸ばす―。農作物をめぐる何とも豊かでほほえましい交流ぶりが、少し前まであったという。

 さて今年は、幾つの舟が対岸に着くのだろう。引き潮に乗って、弥山下ろしの風を受けて、少しずつ遠ざかる。鳥居をくぐると「験がいい」とか。夜更けて肌寒くなっても、島の人や子どもらは、沖でほのめく舟を見つめていた。

−2006.10.1

(文・田原直樹 写真・藤井康正)


たのもさん 旧暦八月朔日(ついたち)、四宮神社の例祭に続いて行われる伝統行事。今年は9月22日だった。「田の実」のなまり。江戸時代に始まったらしいが、はっきりしない。飾り付けた舟を厳島神社の火焼前(ひたさき)や御笠浜から流す。団子人形は踊り子を模して、色紙の笠や前掛けを付ける。五穀をつかさどる稲荷に豊年踊りを奉納する意味があるという。 地図


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