TOPNEXTBACK


「神宿る みやじまの素顔」    49.サル
森の恵み豊か 続く繁殖

そっと寄り添うオスとメス(手前)。ほほえましい光景に胸がじんと熱くなった

 ハゼノキ、ウリハダカエデ…。秋色に染まり始めた弥山原始林を歩く。「ガガガッ」。荒々しい鳴き声が静けさを破る。辺りを見回すと、三十匹はいるだろうか。ニホンザルの群れだ。

 宮島のサルにとっても、秋は恋の季節。オスが魅力をアピールしようと、激しくほえながら木を揺する。刺激されたメスは、鳴き声で応じる。その傍らには、母ザルにしがみついて甘える赤ん坊の姿。何とも愛くるしい。

 シカの背にサルが乗った鹿猿(しかざる)人形、屋根瓦をはぎ取られないよう棟に載せた猿瓦(さるがわら)…。島の人たちとサルの付き合いは、江戸時代にさかのぼる。

 厳島神社では、お供えに使う一年分の白いはしをささげる「御楊枝(ごようじ)献上式」という神事が正月四日にある。これといった土産物のなかった神の島。先人はその習わしにあやかり、五色に塗ったはし「色楊枝(いろようじ)」を考え出した。

 「芸州厳島図会」には、二枚の挿絵にサルが描かれている。千畳閣の参詣客のそばをうろうろしたり、塔の岡の店の屋根から通行人を見下ろしたり。どちらも楊枝屋の周りにいる。

 「当時、サルは全国の楊枝屋の看板代わりだった。それで島にやってきたのでは」。宮島のサルと、はしの関係を調べた広島県立歴史博物館の松ア哲主任学芸員(57)が教えてくれた。

 「宮島では子連れザルが芝居見物する」。そう言われるほど、サルのイメージが宮島では強かった。ただ、いつから島にサルがい たのか、定かでない。明治初期、神社に奉納されたという話もあるが、食べ物を探して民家を荒らすため捕まり、絶えたという。

 現在、島にいるサルは一九六二年、香川県の小豆島から連れてこられた四十七匹の子孫だ。豊かな森の恵みでその数は増えた。台風で餌が豊富にある南東斜面が荒れた一昨年秋から、ふもとに降りてきては農産物に手を出し、町民を悩ませる。

 「こんなすばらしい景色を眺めながら、野生の動物にも出合える。すてきな島だね」。帰りのロープウエーで家族連れが語り合う。森で見た求愛風景を思い出し、うなずいていた。

−2006.10.8

(文・梨本嘉也 写真・藤井康正)


宮島のニホンザル メスはほぼ同じ群れで一生を送るが、オスは別の群れに入ったり、孤立したりして広範囲に移動する。宮島ロープウエーの終点周辺で餌付けされていた群れが分裂し、島の西側でも生息する。発情期は9―11月。3―5月に出産を迎える。個体数の把握と農作物被害への対策が課題となっている。 地図


TOPNEXTBACK