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「神宿る みやじまの素顔」    6.アナゴ漁
原始林の恵み 追い求め

夕日に輝く宮島瀬戸。「ようけ入れよ」。アナゴ筒を投げ入れる手に力がこもる

 夕日を浴びて黄金色に輝く宮島瀬戸。穏やかな波間に浮かぶアナゴ漁の船から、餌を入れた仕掛けの筒が次々と投げ込まれる。

 「口じゃあ言われん。長年の勘よね」。この道五十年という北瀬清さん(60)。鋭いまなざしで潮目を読み、船から望む弥山(みせん)や木立を頼りに仕掛けを沈める。かじを取る手に迷いはない。

 午前零時、北瀬さんの船が再び瀬戸にあった。白い息を吐き、筒を引き揚げる。逆さにすると、体長三〇センチほどの太ったアナゴが小刻みに震えながら飛び出す。「今日おっても、明日もおるとは限らん。二十年前に比べたら、半分ですわ」。島のアナゴ漁師は、今では二人だけになった。

 「金アナゴ」と呼ばれる逸品がある。ひときわ脂がのり、ほくほくと軟らかい。「腹が金色に光っとるでしょう。こうもうまいのは、よそにおらんです」。島で百年余り続く老舗の料理店「ふじたや」の四代目、藤田守さん(70)は自慢そうに言う。

 手つかずの原始林が、栄養たっぷりの水を海に注いでくれる。宮島瀬戸や大野瀬戸に浮かぶ養殖カキのいかだの周りに豊富な小魚がわき、餌になった。地物は、高値で取引された。

 アナゴは、江戸後期からカキに並んで宮島を代表する食材だった。「芸藩通志」は、「阿奈吾(アナゴ)」をメバルやキスと並べて、「皆当島邊(あたり)の産、味佳(か)なりとす」と記す。当時は、どのように食されていたのだろう。

 名物「あなごめし」は一九〇一年ごろ、対岸にある山陽鉄道「宮島駅」(現JR宮島口駅)で駅弁として売られ始めた。全国に知れ渡るようになり、参道には競うように看板が連なった。各店は秘伝のたれにこだわり、甘辛い香りが潮風に交じる。

 アナゴの不漁は続く。乱獲なのか、海が汚れたのか―。「息子が店を継ぐと言ってくれる。いつまで持つか分からんが、うちは地アナゴしか使わん」と藤田さん。のれんとともに、頑固さを守る。

−2005.12.11

(文・梨本嘉也 写真・田中慎二)


あなごめし 焼いてぶつ切りにし、ご飯に載せてしょうゆなどをかけていた「魚飯(さかなめし)」が起源という説がある。店によってたれの作り方は異なる。長さを切りそろえたかば焼きを、ご飯の上に載せる丼風が多い。廿日市市宮島口の老舗「うえの」の駅弁は、アラで取ったスープなどで薄味に炊いたご飯を創業以来、使っている。広島県は漁業管理のため、直径15センチの筒に進入用の小さな穴を開けたアナゴ筒(5月1日―12月31日)と、はえなわの2種類以外の漁法を今年9月から禁止した。 地図


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