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「神宿る みやじまの素顔」    8.巨石信仰
宇宙を仰ぎ 海を見守る

オリオン座や流れ星に手が届きそうな弥山山頂。巨石の上の石仏も、仰ぎ見ているようだ(14ミリレンズ使用 絞り開放 露出時間一時間)

 午前零時の弥山山頂。群青色に染まった空に一つ、また一つと星が流れる。淡い光に浮かび上がる巨石群。その上にまつられる石仏が、薄明かりに包まれ、ほほ笑んで見えた。

 宮島は花こう岩からなる。瀬戸内海の島々が四国まで見渡せ、「その真価は弥山頂上の眺めにあり」とうたわれる頂には、長年の浸食で丸みを帯びた巨石と、殺伐とした砂地が広がる。

 山で修行した弘法大師は、その姿に仏教の世界で宇宙の中心にあるという「須弥山(しゅみせん)」を重ねた。以来、修験者や聖(ひじり)が難行を積む格好の舞台として、山岳寺院が建てられた。

 巨石が神仏としてまつられ始めたのは、中世後期から近世にかけてといわれる。海上交易の発達で島はにぎわい、小さなほこらやお堂ができた。登山道の行く手を阻むようにある巨石を、人々はこぞって詣でた。

 その一つ、「船岩地蔵」は、江戸後期の「芸州厳島弥山之図」に描かれる。見上げると船底のように見える「舟岩」の下に、小さな地蔵がひっそりとたたずむ。だれが供えたのか、今も真新しい手縫いのよだれかけが掛かる。

 巨石信仰を古代の灯台に結びつける説もある。「島の南側から山頂付近の大岩がよく見える。古代の海洋民族は、月明かりに浮かぶ岩を目印に航海したのでは」。瀬戸の島々を撮り続ける写真家脇山功さん(52)=広島市中区=は信仰のルーツに思いをはせる。

 頂上岩の中で、最も大きいのは高さ五メートル。「磐座(いわくら)石」と呼ばれる。第二次大戦中は旧日本軍が海防の拠点として監視所を設け、戦後は展望台にもなった。一九五五年、すべてが取り払われ、神が鎮座するとあがめられてきた以前の姿を取り戻した。

 「パワーが出ると登ってみたり、神の声が聞こえると祈ったり…。よう分からんですが、空に近いだけ、不思議な力でも感じるんですかね」と山頂付近で休憩所を営む白水孝子さん(64)。石は十月、国土地理院に山頂と認められ、弥山の標高は五メートル伸びた。

−2005.12.25

(文・梨本嘉也 写真・藤井康正)


弥山の巨石 山頂が近づくにつれ、数が増える。頂には「あたごさん」と親しまれた石仏がまつられていたが、1991年の台風19号でほこらが倒れた。「陰陽石」も97年の大雨で登山道の横に転落。石の門柱とも呼ばれていた「不動岩」も2001年の芸予地震で一部が崩落した。長い年月をかけて、その形や位置を変えてきた。 地図


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