広島市沖の似島できのう原爆死没者の慰霊式が営まれた。市が実施した遺骨発掘調査で新たに見つかった八十五人の冥福を祈った。被爆五十九年たった今も遺骨が掘り起こされる事実は、原爆被害の底知れぬ甚大さを訴える。
似島には、原爆投下直後に約一万人の負傷者が運ばれたとされる。島の南東部、似島中の南側にある旧日本陸軍馬匹(ばひつ)検疫所跡地での発掘調査は、一九七一年と九〇年に次いで三度目。七一年には推定六百十七体分の遺骨などが発見され、九〇年は人とも馬とも分からない骨灰などが出た。
今回の発掘は地元の長老や連合町内会の働きかけで実現した。跡地には未調査区域があり、「わしらが生きているうちに骨を遺族に返してあげたい。このまま残しておくわけにはいかん」という強い思いが市を動かした。何度も現場に足を運び、記憶を手繰り寄せて発掘場所を定めた。地元の人たちにとって、8・6は続いていた。
似島は一世紀以上にわたり「戦争の島」としての歴史を刻んだ。大本営が広島に置かれて間もなく、外国から帰った兵士たちの検疫所ができた。軍の施設があったからこそ、島は被爆者の収容先になった。臨時野戦病院の検疫所では、原爆の熱線でやけどなどを負った被爆者が次々に亡くなり、火葬や埋葬された。
だが今日、そうした事実はもちろん、地獄絵図さながらの光景に塗り替えられた原爆投下のあの日の光景も色あせつつあるようだ。過ちを二度と繰り返さぬよう深く刻み続けた教訓も忘れ去られようとしている。
戦争の放棄をうたった憲法九条は拡大解釈を重ね続けられ、誇るべき条文とかけ離れた姿になっている。首相が「軍隊である」と言い切る自衛隊がイラクに駐留する。他国の攻撃に対し、同盟国とともに戦える「集団的自衛権」の容認へと論議は向かっている。自衛隊のイラク多国籍軍への参加、改憲の動き、「愛国心」を強調した教育基本法の改正の準備…。
米英の「大義なき戦争」の支持で一段と速くなった流れは、もう止まらないのだろうか。それも、国民に十分な説明がないまま、なし崩しに進んでいく。
そんな中で見つかった八十五人分の遺骨。五十九年間、地中に埋められ、もろくなった茶褐色の遺骨は「このままいけば、昔と同じ道をたどるのではないか。とても安穏としていられない」と訴え掛けているようだ。日本がさらに軍事的な装いを強め、国民でなく国家が主役になる時代への予感である。
発掘現場で見つかった名札は、広島女子商業学校(現広島女子商学園高)二年生の遺品と分かった。きょう兄に引き渡される。待ち焦がれた遺品だが、野放しにされていた現実への遺族の思いは複雑だ。
遺骨の引き取り手はまだ現れないという。遺骨はだびに付され、中区の平和記念公園にある原爆供養塔に納められる。
歳月は容赦しない。だからこそ被爆や戦争の実相を語り継ぎ、学ぶことが欠かせない。戦争や核兵器を否定する思想が普遍化するのを信じて。
    
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