■広島市長平和宣言 記憶・行動の1年に
米国の原爆投下から五十九年となった六日、広島市中区の平和記念公園で、原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)があった。昨年より五千人多い四万五千人(市発表)が参列し、原爆投下時刻の午前八時十五分、一分間の黙とうをした。秋葉忠利市長は平和宣言で「記憶と行動」をキーワードに、来年の六十周年に向けて被爆の記憶を呼び覚まし、体験の継承や共有を通じて核兵器廃絶への「希望の種」をまくと誓った。
午前八時からの式典では秋葉市長と遺族代表二人が、この一年間に死亡が確認された五千百四十二人の原爆死没者名簿を原爆慰霊碑に納めた。これで八十三冊、二十三万七千六十二人となった。
平和宣言で秋葉市長は、小型核兵器の研究を再開した米国を「自己中心主義」と、テロがやまず北朝鮮などが核開発に走る世界情勢を「暴力と報復の連鎖」と、それぞれ批判。被爆六十周年に向けた一年間を、来年五月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議を節目にした「核兵器のない世界を創(つく)るための記憶と行動の一年」にすると宣言した。
日本政府には「平和憲法の擁護」を求め、在外被爆者や黒い雨地域の人たちも含め被爆者援護策の充実を訴えた。被爆地としては、「広島・長崎講座」の普及、次世代に被爆体験記を読み語るプロジェクトの推進など、体験継承の取り組み強化を誓った。
四年連続で式典に参列した小泉純一郎首相は「唯一の被爆国として平和憲法を順守し、非核三原則を堅持する。核兵器の廃絶に全力で取り組む」とあいさつした。国連のコフィ・アナン事務総長がメッセージを寄せ、阿部信泰事務次長(軍縮担当)が代読した。
こども代表の亀山南小六年百合野光哉君(11)=安佐北区=と段原小六年河田早紀さん(11)=南区=が「平和への誓い」。被爆体験を継承し世界に伝えていく決意を、のびやかに読み上げた。
強い日差しが肌を刺す会場。せみ時雨が響き、参列者は汗だくに。市が会場後方に初めて設けた大型テントから席は埋まった。混雑を避け、未明や早朝に原爆慰霊碑に花や線香を手向ける遺族や被爆者も多かった。
【写真説明】祈りの8時15分 平和記念式典で平和の鐘が打ち鳴らされた午前8時15分、原爆ドームに向けて元安橋から手を合わせる少年。鎮魂や不戦の誓い…。平和記念公園に集まった人たちはさまざまな思いを祈りに込めた(撮影・大村博)
    
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