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【社説】長崎原爆の日 問われる被爆国の覚悟 '07/8/10

 「この子どもたちに何の罪があるのでしょうか」

 きのう六十二回目の原爆の日を迎えた長崎市の田上富久市長は平和宣言の冒頭に、凶弾に倒れた伊藤一長前市長の言葉を引用した。一九九五年十一月、オランダ・ハーグで開かれた国際司法裁判所の法廷。黒焦げになった少年の写真を掲げ、涙しながら核兵器使用の国際法違反を訴えた一節である。

 かみしめるように穏やかな語り口にも、伊藤前市長が訴えてきた核兵器廃絶の決意を、しっかり継承しようとの思いが伝わった。

 一方で、平和宣言の中で強い調子で疑念を表明しているのが、政府に被爆国としての自覚が欠けているのではないかという点だ。

 昨年十月の北朝鮮の核実験にからんで、麻生太郎外相や中川昭一自民党政調会長が「核保有を議論することは必要」などと相次いで発言。今年六月末には、地元長崎県選出の久間章生前防衛相から、原爆投下を「しょうがない」とする発言まで飛び出した。

 唯一の被爆国である日本の政府・与党中枢のこうした「揺らぎ」に対し、田上市長が「原爆投下への誤った認識や核兵器保有の可能性が語られている」と厳しく言及したのは当然だ。

 そのうえで核兵器廃絶に向け、強いリーダーシップを発揮するよう促した。核不拡散体制崩壊の危機が迫る今こそ、被爆者の体験を原点に核兵器の非人道性を世界に伝え、「核兵器使用はいかなる理由でも許されない」と訴えるべきだとの指摘は共感できる。

 被爆者代表の正林克記さん(68)が式典で読み上げた「平和への誓い」。腹に竹が突き刺さったまま、傷ついた妹を背負って逃れた体験を語った。「広島・長崎への原爆投下は人類への投下。正当化できない」という言葉は、参列していた安倍晋三首相の耳にも届いたはずだ。

 しかし、安倍首相のあいさつでは「国際社会の先頭に立ち、核兵器廃絶と恒久平和の実現に向け全力で取り組む」と政府の基本方針の繰り返しが目立った。具体性に乏しく、残念である。

 長崎の平和宣言は、市長と被爆者や有識者、市民ら二十人でつくる起草委員会で、二カ月余りの議論を経て練り上げられたものだ。それだけに重みがある。

 「たとえ逆風が吹き荒れようとも、私たちは核兵器のない未来を決してあきらめない」。長崎市民の覚悟を、私たちも共有したい。


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