広島「原爆の日」の六日、犠牲者を弔い、反核への思いを新たにする集会が県内各地であった。県内の被爆者手帳の所持者は三月末で四千六百四人。この五年間で八百三十一人も減っており、被爆者らは「風化させてはいけない」と体験継承への思いを強める一方で、先細る活動に焦燥感を募らせる声もあった。
▽死没者碑前で 献花や黙とう 山口
山口市宮野下の「原爆死没者之碑」前でも、死没者の追悼式があった。関係者約三十人が参列し、約百二十体の分骨と千七百三十六人の死没者名簿を納めた碑に献花や黙とうをささげた。
式では、県原爆被爆者福祉会館「ゆだ苑」の田村茂照理事長(77)が「平和とは地球上から核兵器を排除すること。被爆者の高齢化が進んでいるが、核兵器がなくなるまで後世に語り継がないといけない」とあいさつ。参列者は折り鶴二万四千三百羽を供え、菊の花を献花した。
原爆投下の午前八時十五分から一分間、全員で黙とうした。県被団協の竹田国康会長(77)は「現在まで生き残ったことに感謝し、子どもや若い人への証言活動を続けていく」と静かに話した。
原爆死没者之碑は一九七四年九月六日に建立。追悼式のほか山口市では七五年以降、九月六日を「ヤマグチのヒロシマデー」として平和式典を開いている。(浜村満大)
▽継続的な活動を訴え 下松で9団体市民集会
下松市の市役所前広場では、市原爆被爆者の会や市職労など九団体が、「核兵器をなくし平和を願う市民集会」を開いた。七十五人が核廃絶を訴える横断幕を掲げながら、黙とうをささげ冥福を祈った。
西村徹也実行委員長(37)は「時が残酷なのは記憶を風化させ、うそを普遍化させることだ」と継続的な平和活動の必要性を強調。その後、政府に非核三原則の厳守などを求めるアピールを採択した。
被爆者の会の野坂清子さん(79)は「あの日のことは忘れようとしても、絶対に消えない」と目頭を押さえていた。会のメンバーは多いときで約七十人いたが、今は半分程度まで減ったという。
井内翼(たすく)副会長(65)は「語り継ぐのが私たちの役割なのに、この後、どうつないでいったらいいのか」ともどかしい様子だった。(鴻池尚)
【写真説明】<左>追悼式で原爆死没者之碑に献花する参列者<右>黙とうして犠牲者の冥福を祈る集会参加者
    
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