核廃絶という究極のゴールをどう目指すか。行く手に立ち込めていた深い霧が晴れようとしている。
米国が核軍縮にかじを切るという一条の光。足元の東アジアにはまだ暗雲も漂う。それでも、今度こそはと思わずにはいられない。広島はきょう、鎮魂の日を迎えた。
64年前の8月6日朝、米軍のB29爆撃機が広島市のT字形の橋を照準にとらえた。原爆投下のレバーを引いた爆撃手。やがて視界に火の玉ときのこ雲が飛び込んできた。
地上では、いつもと変わらぬ一日が始まっていた。
人々は熱線に焼かれ、爆風で建物もろともなぎ倒された。水を求め、川の中で折り重なるように息絶えた。放射線は遺伝子を傷つけ、今なお被爆者を苦しめる。
「核兵器を使った唯一の国として米国は行動する道義的責任がある」。オバマ大統領が4月にチェコのプラハで行った演説は画期的だった。
米大統領が原爆投下の責任に触れたのは初めてのことだ。「核なき世界」を目指す決意を示し、時代の変わり目を強く印象づけた。
ただ、米国内には異論もある。原爆投下について「戦争を早く終わらせるために必要だった」という正当化論がまだ支配的だ。プラハ演説は保守派からの手厳しい批判も呼び起こした。演説で表明した上院での包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准もめどが立たない。
オバマ氏支援を
理想主義的な言葉と現実的な対応を併せ持つオバマ大統領。核なき世界は「おそらく私が生きている間はできないだろう」とも述べた。
当面の狙いは、米ロ間の戦略核削減など保有国が率先して核軍縮を進め、核の拡散やテロを防ぐことだろう。その先は忍耐強く取り組むというのが本意ではないか。それでも核の軍縮から廃絶へと向かう好機が訪れていることは間違いない。
オバマ大統領が一歩でも前へ進めるよう、被爆国としてあらゆる協力と支援をしたい。
プラハ演説は、日本政府が原爆投下の問題にどう向き合ってきたのかも考えさせる。
米国に抗議したのは、戦中の一度きりだ。投下の4日後、「無差別かつ残虐性を持つ新爆弾の使用は人類文化に対する罪悪だ」と非難し、使用の放棄を求めた。しかし敗戦後は日米安保体制の下で、原爆投下の責任を問うたことはない。
平和憲法を掲げる被爆国でありながら、安全保障は米国の核兵器に頼ってきた。核の傘の下から核兵器廃絶を叫ぶ。そんな矛盾は東西冷戦が終わっても続く。むしろ北朝鮮が「核武装」へ動き始めたのを機に、米国の核抑止力にこれまで以上にこだわっているようにも見える。
まず先制不使用
これに対し核兵器をめぐって国際的な論議になっているのが「先制不使用」の考え方だ。こちらから攻撃しないと宣言すれば、疑心暗鬼は薄まり、核の役割も限定される。
原爆の惨禍を知る日本こそ、米国に先制不使用宣言を働きかけるべきだろう。しかし政府は、米国の核抑止力に影響が出るとして否定的だ。北朝鮮のミサイル攻撃が念頭にあるようだが、これでは核軍縮の流れに逆行しかねない。
今、オバマ大統領を被爆地に呼ぼうという運動が盛り上がっている。
原爆を投下した核大国のトップが核兵器の非人道性を目の当たりにし、被爆死した人々の無念に思いを致す。極めて意義深いことだが、訪問を待つだけですべてが解決するわけではない。迎える側にも、能動的な取り組みが欠かせない。
一つは、あいまいにしてきた原爆投下責任の問題である。
米大統領が「道義的責任」を越えて謝罪にまで踏み込めるだろうか。米国世論のハードルは高い。ただ若い世代になるほど原爆投下は間違っていたと考える人が増えているという。原爆が落とされて何が起きたかを米国民に正確に伝える努力がさらに要る。首相による真珠湾訪問も検討課題だ。真の和解にこぎ着けるための環境づくりが急がれる。
核の傘から脱却
もう一つは、日本が核の傘から抜け出す道筋をどうつくるかである。
焦点は核の挑発を繰り返す北朝鮮。核実験やミサイル発射の理由について「米国の核の脅威があるから」と言う。その軍事力は日米の通常兵器だけで十分対応できるという専門家の指摘もあるが、日本では北朝鮮脅威論が高まるばかりだ。
冷静な分析に基づく交渉によって双方が核に頼らない方向を追求すべきだろう。
北東アジアの非核兵器地帯構想が既にある。日本、韓国、北朝鮮が核兵器を持たず、この3カ国を米国、中国、ロシアが核攻撃しないと約束する枠組み。核の傘を外すことは、日米安保条約とも矛盾しない。
今年初め、ピースボートで地球を1周した被爆者の井口健さん(78)。「国内はさめているな」と感じた。被爆体験に熱心に耳を傾けた各国の人々からは、日本の核政策をただす声も出たという。
世界の都市、市民と連帯して2020年までに核兵器廃絶を目指す「ヒロシマ・ナガサキ議定書」。平和市長会議が国内の自治体首長に署名を呼びかけるが、集まったのはまだ1割余り。井口さんら被爆者有志は、国内のキャラバンに乗り出す。
「なんとか自治体、そして国を動かしたい」。いてもたってもおれない被爆者たちの思いを受け止め、もっと国内世論を盛り上げたい。
その上で、政府は核兵器に依存しない安全保障の方向性を示すべきだ。核廃絶への長い道のりの先頭に立つのは被爆国の責務である。
    
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