▽広島市の研修に参加
被爆者の高齢化が進む中、課題となっている被爆体験の継承。広島市安佐南区の主婦東野真里子さん(60)は、被爆者に代わって体験を証言する「伝承者」を養成する市の研修に参加する。体験を受け継ぐ相手に選んだのは母竹岡智佐子さん(85)。近くに暮らしていても、忙しさなどを理由に断片的にしか聞いてこなかった。「伝えたい」「知りたい」。母と娘の思いがいま、交わる。
29日、広島国際会議場(中区)の一室。真里子さんたち伝承者を目指す7人は、「証言者」として協力する智佐子さんを囲んだ。
智佐子さんは17歳の時、己斐町(現西区)の自宅で被爆した。爆心地に近い基町(現中区)の広島陸軍病院の看護師長だった母を捜し歩いた。
3本の金歯を手掛かりに、40人近い死体の口を木切れで広げて捜した。6日後に再会した母の右目はつぶれた状態だった。獣医師による麻酔なしの手術に、断末魔のような叫び声を聞いた。
真里子さんが伝承者1期生に応募したのは、40年勤めた生命保険会社の退職を控えた昨春。20年以上、証言を続ける智佐子さんに誘われた。「もう私も体がつらい。引き継いでくれるなら心強い」
研修が始まった昨年7月。母の講話を初めて聴き、知らなかった「過去」の深い部分に触れた。
被爆から2年後。智佐子さんは初めて出産した。「色の白いきれいな男の子。みんなの希望でした」。肌に紫の斑点が浮かび、生後18日で息を引き取った。「医者は『これが原爆病です』と言った」。真里子さんは涙をこらえきれなかった。
月に2回程度、他の研修生に交じり智佐子さんの話を聴く。「自分も母親となり、年を重ねたからこそ琴線に触れることがある」と真里子さん。母はどんな心情だったか。「声に出すと体験がストンと落ちる」とも語る。
伝承者としてのデビューは2015年春の予定だ。広島を訪れた人たちに智佐子さんの体験を語り伝える。(加納亜弥)
【写真説明】真里子さん(左)に被爆体験を語る智佐子さん




