ヒロシマ撮影の未発表ネガ寄贈

'98/7/28

 ▽被爆後2ヵ月廃虚の広島

 被爆直後の広島の惨状などを精密に記録した貴重な写真のネガフィルム六十三カットが二十七日までに、元米海軍将校の長男夫妻から広島市の原爆資料館に寄贈された。一九四五年十月に撮影したとみられ、いずれも未発表。核兵器が史上初めて使用された被爆都市を空から鮮明にとらえ、三六〇度のパノラマ写真も含まれている。

 ▽360度 広がる焦土

 最大四千度の熱線と爆風、放射線を浴びて焦土と化した広島―。爆心地の西七百六十メートル、中区猫屋町にあった鉄筋三階建ての光道小学校(廃校)屋上から見た被爆二カ月後の市中心部の全景である。市西部から撮ったパノラマ写真が見つかったのは初めて。

 保存していたのは元米海軍大尉のハーバート・オースチンさん=七八年、六十六歳で死去。長男でカリフォルニア州在住の会社社長ブレット・オースチンさん(54)が原爆資料館に寄贈した。

 ハーバートさんは第七艦隊上陸用船艇艦長として四五年秋に広島へ上陸し、約二カ月駐留。その間に撮影したという。写っている遺物の照合などから、いずれも十月中旬から下旬にかけて撮られた可能性が大きい。

 写真を検証している広島市安佐北区の写真家、井手三千男さん(57)は「後に広島入りした米戦略爆撃調査団の写真と比べても、精度は優れており、全体状況が詳しく分かる。プロによる撮影」とみている。

 六年前、ブレットさんは父の写真で知る原爆ドームを初めて訪れて衝撃を受けた。日本人の妻ヒサヨさん(54)の勧めもあり今年五月に広島を再訪し、夫妻で寄贈を伝えた。

 ブレットさんは「核実験をしたインド、パキスタンをはじめ、世界中の人間がもっとヒロシマに目を向けるべきだ。核兵器の真実を伝えるのに役立ててほしい」と話している。

 被爆直後のパノラマ写真は、カメラマンの林重男氏が十月上旬、焼け残った中区の広島商工会議所や中国新聞社屋上から撮った写真など、三組が確認されている。

 ブレットさんから贈られたパノラマ写真と、爆心地一帯を収めた空撮の五枚は、八月一日から原爆資料館で公開される。

 [写真説明]旧光道小学校屋上(中区猫屋町)から見た被爆2ヵ月後の広島市中心部。右上方に本川小学校や原爆ドームが見える原爆投下の目標になった相生橋(T字橋)。その右下は原爆ドーム、すぐ上は旧広島商工会議所


MenuBackNext