「原爆体験記」の生原稿165編発見
'98/7/29
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大半が未発表 占領下 生き残る
広島市が一九五〇(昭和二十五)年、初めて募った「原爆体験 記」のオリジナル原稿全百六十五編が、市公文書館にあることが二 十八日分かった。出版物の検閲があった占領期に書かれた貴重な記 録は、千五百枚に達する。大半が未発表のままである。被爆五年後 とあって「あの日」を克明に表し、肉親らを一瞬のうちに奪われた 悲しみ、平和への訴えを痛切につづっている。
百六十五編は、被爆時に児童・生徒だった八十四人、大学生を含 む一般が八十一人。未発表の百三十六編の中には、被爆者運動や平 和教育の先駆者となる島本正次郎さん(七八年死去)や、尾形静子 さん(七一年死去)らの体験記が含まれる。
中区の自宅で被爆し、三人の子どもを失った島本さんは「産業奨 励館(原爆ドーム)が一ツ記念に残されるだけでは駄目である」。 復興が何より優先された時代に、早くも被爆建造物を保存して実態 を世界に伝えるよう訴えている。
応募原稿は五〇年、当時の市社会教育課が十八編を選んで「原爆 体験記」(百三十四ページ)として出版。六五年、新たに十一編を加え て全国紙の新聞社が出版した。現在も増補版が出ている。
いずれも「原文のまま」とし、募集が「昭和二十三年」との記述 も見られるが、原文と照合すると、加筆や削除が確認された。社会 教育課の受付印も五〇年六月から七月にかけてとなっている。
市が七一年に刊行した全五巻の広島原爆戦災誌を執筆し、後に市 史編纂(さん)室長を務めた小堺吉光さん(八六年死去)が、オリ ジナル原稿を三冊に合本して残していた。編纂室で一緒に働いた油 井房江さん(49)たちは「広島の貴重な記録を散失させてはならない と、小堺さんの判断で保存した」と話している。当時、公文書館は まだなく、資料書類の廃棄は珍しくなかったという。
全編の公開を望む
広島大原爆放射能医学研究所の宇吹暁助教授の話 原爆手記は占 領下では希少であり、生原稿がこれほどまとまって残っているのは 非常に貴重だ。直接体験した人たちだけに記述は迫真、記録性に富 んでいる。全編を公開してほしい。
【写真説明】48年前、広島市が募集した「原爆体験記」のオリジナル原稿全編。3冊に合本して市公文書館整理室に保存されている
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